どの面から考えても「いじめ対策途上国」でしかない日本
法改正を速やかに行い、隠ぺいをした学校は酷い場合は閉校処分、私学は補助金助成金の減額や停止と事実公表、恣意的に対応期間を延ばすなどの工作があったときは、懲役刑を含め少なからず前科となる罰金刑が妥当だろう。いじめ加害者は、更生施設や更生プログラムを受けるほか、強制転校処分なども良いだろう。
これらは、諸外国では、すでに運用されていることばかりだ。教育関係者や御用いじめ問題の専門家の面々は日本のいじめ対策がよくやっているとか日本は先進国だと思っているようだが、実際、日本はどう考えても、どの面から考察しても、いじめ対策途上国である。
いじめの認知数を減らすために、定義を改悪しようと動いている専門家が実は多くいることも、もう気が付いている人が増え始めている。さらにそれが誰かまで情報が出始めている。その中には長いものには巻かれろ、こっちについた方が目先の利益があると尻尾を振った乞食根性丸出しの者もいようが、冷静に考えてみて欲しい。世の流れは強き者、争いに勝った者が作るという見せかけの流れから、真がある方へ変化してきている。彼らが何となく不安がるのは、普遍的無意識がその世の流れの変化を察知しているからに他ならない。
まずは現状を、よく受け止め、いじめ対策先進国を目指さないとならないだろう。
見本は既に世界中にあるのだ。
膨れ上がる「重大事態いじめ」に歯止めがきかない要因
私の父は「仏の阿部ちゃん」と呼ばれていて、義理人情に厚い結構好い加減な人でした。すでに亡くなりましたが、よく覚えているのは、バレンタインチョコを大量にもらってきていたことで、お返しを買うのに付き合っていたことです。ハイカラで手ごろなお返しをしたかったみたいです。
おっさんになってもモテモテというか、慕われていました。
そのオヤジが、私によくこんなふうに言っていました。
「ひろ、いいか、みんな誰かの大事な娘さん息子さんであり、大事なお母ちゃんでありお父ちゃん、誰かの家族であり、欠かせない人なんだな、そう思うと、すごく大事な人に思えてくるだろ。独り身だって、人間は赤ちゃんだと一人では生きていけない、だから、誰かの世話になって、その世話っていうのはな、普通じゃできない、大変なことなんだぞ。なのに、お前は…」
この言葉の当時、ナイフのように尖っていた私への苦言が続きますが、人との対応の基本中の基本を親父なりの言葉で教えてくれていたのだと思います。
冒頭で取り上げた神奈川県の私学の問題でも、当事者は記憶にないとしていますが、「無視くらいで」とか「マスコミには…」などの不適切発言は、きっと、必死になっている被害保護者を何か面倒くさい人みたいに思っての言葉でしょう。似た事例は腐るほど聞いていますし、対応事案では同席もすることも多いので私自身も体験しています。
ご遺族に説明の時間が長いとわざわざメールで文句を言ってくる元高級官僚もいるくらいです。
だからこそ、各ガイドラインには冒頭文や下線などを入れて、「寄り添い」が大事だと書いてあるのです。確かに、被害を訴える被害保護者は、いじめの被害当事者ではありませんが、自分の大事な家族が不当な被害を受け、それで酷く苦しむ姿を見ています。魂では、同様に傷つき苦しんでいるのです。
もしも、担当者自身が、同じ立場であったらどうでしょう。何よりも大事な人が苦しんでいたら、どう思うでしょう。事務的に、機械のように対応することが正しいのでしょうか?必死になる姿を滑稽だと同僚と盛り上がり、家族の問題と決めつけたら安心できるのでしょうか。
私はそういう人でなしの対応と結果が、未だに続くいじめ発生件数の最大化や膨れ上がる重大事態いじめに歯止めがきかない大きな要因になっていると思います。
まずは、人となれ。話はそこからかもしれません。
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