「異常の中の常態」となったいじめ放置という事態
被害側は検証委員会の目的を「事実、情報、プロセスの正確性正当性の確認と保証」として、焦点を「事実確認、基準への適合性、不正・誤謬の発見」期間を「第三者委員会発足について決定したときから現在」と考え、いじめ重大事態ガイドラインに沿った運営がされていなかったことや調査過程とその結論についてのプロセスの不明瞭さなど問題提起している。
つまり、根拠ある当然の要求をしているのであるが、市側は根拠と言えば、自らの課で話し合った結果を、こうしたいと伝えてくるだけで、これについての説明がない。
交渉については、市側の要求に被害側が応じるかどうかの二択であり、質問をすれば、その回答に半年待たされるのである。催促をしても返答は無視され、被害側は話し合いに市庁舎に行こうとすれば、別の施設を指定されるという事実上の出入り禁止処分を喰らっているのである。
その間に担当者が変われば、積み上げた話はまたゼロに戻る。これは何かの罰ゲームなのだろうかという遅滞に次ぐ遅滞を繰り返すのだ。
ハッキリ言う。
政治と行政の腐敗は、他人事ではない。いじめの発生件数は年々増えているし、減ったとしても高止まり現象に過ぎないだろう。いじめがゼロの地域はないし、重大事態という、こどもの命や酷い心身の苦痛を伴う、犯罪行為等も行為に混じるいじめが発生していないように見えている地域があるとすれば、隠ぺいされただけであると断言できる。
事実、本来重大事態となるいじめが放置されていた件は枚挙に暇がなく、重大事態と認定された後、第三者委員会が発足しない件は普通にあり、その数は乖離している。
すでに専門家の多くは、こうした事態を異常の中の常態であるとしているし、データとしてこれを表すものも出ている。
子育て世代は、いつ我が子が被害者になるかわからないというのが、今の社会なのだ。そして、いじめのみならず、何らかの問題が生じて、彼らの意向に沿わぬ要望をした場合、何年も放置できることになる。
私は教育行政を通じ、他の問題も多くみてきた。正直吐き気しか催さない。教育行政はまだマシで、もっと酷い行政問題はあるのだ。つまり、こうしたいじめ問題の放置事件は、その地域の別の問題を見る目安でもあると言えるのだ。
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