ウクライナ停戦交渉でも場当たり的な対応に終始するトランプ
ちなみにロシアも1988年にパレスチナを国家承認しており、かつ中国と共に、中東諸国と友好的な関係を築いているため、ウクライナ侵攻に当たっても、バイデン政権からの再三の求めにも応じず、アラブ諸国は対ロシア制裁網には加わらず、逆にOPECプラスの枠組みを通じて、ロシアとの連携を深めています。
そのこともあり、ロシアは、元々イスラエルともさほど関係は悪くなかったはずですが、巧みにイスラエル政府とネタニエフ首相を切り離し、あくまでも反ネタニエフで、アラブ諸国と連携する姿勢を取っています(ただし、想像に難くないと思いますが、ICCの勧告については(プーチン大統領も逮捕対象になっていることもあり)コメントはしていません)。
高まる批判に危機感を感じたのか、ネタニエフ首相は“国難への対応を優先したい”との理由で、イスラエルのヘルツォッグ大統領に恩赦を依頼したのですが、見事にスルーされ、ヘルツォッグ大統領からは「10月7日に起こったことについて、国民に詳細に説明し、かつ政治には今後、関与しないと誓うのであれば、恩赦を検討する」という実質的な最後通牒を突き付けられて万事休すとなっています。
ネタニエフ首相は今週に入っても、従来通り「パレスチナ国家の樹立は絶対に許さない」と主張していますが、頼みのトランプ大統領はこれに対してコメントしてくれず、逆に「ガザ和平の障害になってはいけない」と釘を刺され、「(アラブ諸国のレッドラインとなっている)ヨルダン川西岸へのユダヤ人入植に対しても、“一部の強硬派が行っているもの”と責任逃れせず、首相ならばすぐに停止させよ」と言われて孤立無援な状況に追いやられています。
個人的なつながりに過度に依存して、「自らがコミットすればすぐに解決する」と過信したトランプ大統領の責任は大きいかと考えますが、トランプ大統領の介入なしには停戦に向けた動きは始まらなかったことも事実ですので、失敗または混迷の原因を探すとしたら、やはり仲介に際して何ら軸を持たなかったことではないかと考えます。
よく似たことはロシア・ウクライナ戦争の停戦協定の仲介にも見られます。就任前に「就任から24時間以内に停戦が成立するだろう」と述べていたトランプ大統領ですが、就任後、いろいろな情報がもたらされたのか、「夏ぐらいまでには」とトーンダウンしています。
ただ“停戦”を成し遂げたとしても、その後の始末までは熟慮していなかったようで、第1次政権下でのレガシー(プーチン大統領との個人的に良好な関係という“一方的な思い込み”)にしがみつき、プーチン大統領に直接話す機会を設け、一応、停滞していた協議の再起動には成功しましたが、その後はロシア寄りで外交的にはずぶの素人であるウィトコフ特使を前面に押し出し、ウィトコフ氏が持ち帰る情報と周辺から提供される分析結果に一喜一憂して、対ロ強硬と融和への急旋回を頻繁に繰り返し、実際にはどうしたいのか分からない“軸”なき、場当たり的な対応に終始しています。
米ロ間で28項目の停戦合意ドラフトが作成され、アメリカ政府内でも賛否両論の内容だったようですが、ルビオ国務長官が前面に出てフルコミットする形でバランスを取り、ウクライナとの再三の協議において“28項目案”の角を削るような内容の提案が出来たようですが、ドンバス地方の帰属(領土の割譲の可否)やウクライナとNATOの関係性、ウクライナに対する安全保障の確約などの重要項目については首脳間の直接協議に丸投げする形で、実際にはメディアがはやし立てるような成果は全くなく、進捗ないまま、議論は平行線を辿り、ロシアとウクライナは相互にインフラへの攻撃を繰り返して、戦争は継続しています。
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