校内暴力全盛期の「80年代」がニッポン敗北の転換点。我が国における“教育の荒廃”が招いた技術力と競争力の大崩壊

 

80年代に起きた「学習困難を抱えた子どもたち」の切り捨て

一つの仮説は、その前の60年代に知的階層の中高生が安保条約やベトナム戦争に反対して学生運動に走った際に、当時の文部省以下、教委や学校がこうした政治活動を徹底的に取り締まったことが契機になったという可能性です。確かに、政治運動に関わった生徒を指名して警察に「売った」教師や学校の存在は、同時代の社会に失望を与えたのですし、教育現場に荒廃をもたらしたのは事実です。

荒廃ということでは、大学での政治運動が退潮となった70年代中期には、知的階層を中心に、正義感や社会改良の志というのは「諦めるのが成長」だなどという、「ふてぶてしい虚無主義」が横行しました。そうして、若者の精神世界が荒れ果てたのは事実だと思います。

では、その荒廃が、80年代には非知的階層の子どもたちに伝染して校内暴力となったのかというと、これは全く違うと考えます。思想的にも、心情的にも、また時間軸としても、60年代から70年代の政治運動と80年代の校内暴力には接点はないからです。教師には神聖な理想主義が期待できないという虚無主義が非知的階層に伝染したというのも、説明として当てはまらないと思うのです。

では、80年代に起きたのは何かというと、それは学習困難を抱えた子どもたちへの侮蔑というべき、切り捨てがされたということだと思います。一つの契機は、1979年から導入された大学入試の共通一次試験です。これによって、全国の国公立大学は見事なまでに序列化されました。序列化されたのは国公立大学だけでなく、私学を含めた全大学もそうだし、同時に偏差値の流行により高校の序列化も進んだのでした。

そんな中で、貧困家庭出身者や様々な事情から学業成績の振るわない生徒は、それこそ学校の中で蔑視の対象となりました。本来は左翼系の学生運動という「高貴な逸脱」を弾圧するために作られた管理教育が、学習困難という「被害者」に対して、「これもまた下方への逸脱」だとして弾圧を加えたのでした。

残念ながら反抗や勝利への「言葉」を持たない彼らが暴力の使用に追い詰められていったのは一種の必然だと思います。そして、多くが貧困層である学習困難層は、様々な反抗の文化を作り上げていきました。暴走族、スケバン、ツッパリなどの不良カルチャーであり、それはそれなりにカルチャーとしての重層性も備えていました。

管理教育は、そこに管理と制圧の対象を発見して、同じように牙を剥いて行ったのでした。それは教育などではなく、低レベルな争いにも似たものでした。一方で、学生運動の退廃と敗北を見て育った知的階層は「理想とは許されないもの」「理想を捨てるのが成長」などと相変わらずおバカな精神の自傷行為を続けながら、ボンヤリしていたのでした。

そのボンヤリはやがて、バブルの狂奔と、理系蔑視から気がつくと競争力崩壊へと国を追いやるのですが、それはともかく、彼らも暴れる生徒を力と脅迫で屈服させる教員の中世的な姿を見ていたのでした。この80年代に、恐らく日本の国として、とても大切な何かが壊れていったのだと思います。

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