校内暴力全盛期の「80年代」がニッポン敗北の転換点。我が国における“教育の荒廃”が招いた技術力と競争力の大崩壊

 

老いては「ジジババウヨ」になったカッコ悪い団塊世代

教育を切り口にお話しましたが、正義つまり理念をバカにする風潮にボンヤリ従属することで本当に多くのものが失われていきました。技術力も、グローバリズムへの適応も、正しい意味での経済合理性も、本当に消えていったのですが、その端緒は80年代にあったのです。

その本質は教育の荒廃にあり、それは学力低下ということだけでなく、知的階層は塾に行って学歴をカネで買い、貧困層は尊厳を失って抗議の暴動に走る、これに大人は対応できない、そうした全体的な教育界の荒廃が起きていたのでした。

何も見えず、何も感じられない教育行政や教育学者たちは、左右に分かれて平和教育だ愛国教育だと、現場と無関係な論争に明け暮れ、その馬鹿な対立を現場に持ち込むという悪行すらやっていました。

その全体が本当にダメであったのだと思います。その80年代のダメダメさから比べると、今、心の底から思うのですが、現在、2026年の日本の状況ははるかにマシであると思います。

保守政権は表面では軍拡に向かっていますが、裏では財政破綻回避の綱渡りを日々やっています。一方で、世論の側は生活水準切り下げを許すまいと対抗しています。国として良い構図ではありませんが、巨大な現実の少なくとも半分ぐらいは見えていて、逃げられない課題に日々立ち向かっています。

そこには合理性があり、必然性があります。この現在の苦闘と比べると、あれだけ豊かであって、選択の自由度もあった80年代に、理念も、合理性も、グローバルな世界も無視して、ボンヤリ流されていた日本人は、当時の自分も含めて犯罪的であると思うのです。中でも教育界の思考停止は、国の根幹を壊してしまったのだと思います。

思考停止というのは、管理教育を批判しようということではありません。保守政権がベトナム戦争の支援をしたのは、今と同じで、日本の防衛から米国が手を引いたら困るからです。さらに言えば、自主武装をするとなると外国勢力が干渉して賛否両論となり、国が立ち往生する、これも現在と似た構図でした。

その結果として、保守政権がベトナム反戦を弾圧する…そこまでは開発独裁国には共通のパターンでした。ですが、反対した若者が、一足飛びに共産革命を志向して、内ゲバで争って自滅し、結果的に「社会改良などの青臭いことは捨てるのが成長」などという下らないニヒリズムに堕落した、これは奇妙です。

さらに言えば、そんな妥協というか転向を経験した団塊世代がバブルに酔い、老いてはジジババウヨになったのも何ともカッコ悪い話です。また学生運動を弾圧するための管理教育が、下方逸脱の貧困層や学習困難の層に弾圧を加えて、彼らを暴徒化へと追い詰めた、これこそ最悪の思考停止です。そしてその対立を傍観していた知的階層はさらに更に虚無主義を「こじらせた」のです。

そういえば、80年代というのは、エログロの流行もひどいものがあったし、ヤクザ映画の流血表現なども受けていました。人間として、どこかが壊れた形で時間が進行していたのです。その間に、IBMやインテルは反撃の仕込みをしていたし、MSなど日本がバカにしていたソフトウェア産業の萌芽が生まれていたのでした。

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