高購買力層を狙う広告戦略の真意
それはともかく、本作が制作されたプロジェクトそのものについては、非常に画期的であるし、様々な問題を抱えているように思います。まず、本作のような文芸タッチの作品が地上波に乗ったというのは、簡単には称賛できないということが挙げられます。表面的には、「文芸タッチの作品が地上波に乗る」というのは、視聴者がレベルアップしたとか、ドラマの存在意義や社会的地位が上がったという印象になると思います。
また、放映の最初の方では炎上状態だったというのは、クラシックなドラマ視聴層にはレベルが高すぎてテイスト上のミスマッチを起こしていたということと理解できます。このミスマッチについては、全くそうだと思いますし、後半戦になっていくと解消されていったのも、視聴層が絞られた結果の自然な成り行きと考えられます。
問題は、では、文芸タッチの作品にはリテラシー的にミスマッチが起きる一定層があるのは承知で、どうして本作を地上波ゴールデンに持ち込んだのかということです。それは、媒体の地位が上がったからではないと思います。何故かというと、次のようなマーケティング上の計算があったと思われるからです。
まず、地上波ゴールデンの帯ドラマにおける最多視聴層、つまりボリューム層に対しては、提供クライアントのブランド訴求の動機が弱まっていると考えられます。実際に番組を提供していたのは、ニトリ、明治、三井不などが主でしたが、いずれも高学歴=高購買力層向けの広告出稿だと考えられます。
こうしたクライアントの場合、効果が期待できるのは、赤坂の「日曜劇場」で、これは21時という「宵の口」でありながら高学歴=高購買力層がリアタイ視聴してくれるという珍しい枠です。ですが、スポンサーが殺到して需要と供給の関係から枠の値段も高く(今クールは不明)なっているわけで、低価格商品のブランド展開には簡単には使えません。
そこで、水曜22時という比較的廉価な枠に、「文芸タッチ」をブチ込んで行けば、高学歴=高購買力層にリーチできる、しかもコスパ的にも行けるということになったのでしょう。コンテンツ側から見ると、従来であれば2時間の映画でしか成立しなかった「文芸タッチ」の作品に、代理店経由でナショナルブランドの広告主がやってきたのです。彼らが、とにかく全額の制作費をポンと出してくれるので、これは願ったりかなったりということになるのでしょう。
シニア市場縮小と地上波の苦境
では、こうした動きは「地上波のマーケットを拡大する」というプラスの動きなのでしょうか。例えばですが、ここ数年の地上波を取り囲むトレンドとしては、購買力上位層はどんどん課金サービスのネトフリなどに流れています。これに対して、今回の「春の・・・」のような文芸タッチ作品、あるいは社会派作品などが健闘して「高購買力層への訴求媒体」としての可能性を見せれば、それはそれで確かにプラスではあるでしょう。
ですが、もう少し視点を引いて全体的に見てみると、そうは楽観できないのを感じます。ここ数年の地上波を取り囲む流れとしては、これとは別に「シニア市場の縮小」というものがあります。団塊世代がここへ来て、ある臨界点を通過しつつあります。彼らは投票所から離れると同時に、個別の消費行動、購買判断の場からも離れつつあります。
都府県によっても多少の違いがありますが、「墓地墓石の広告が減った」「健康食品サブスク誘導が減った」「時代劇の再放送が減った」など、地上波におけるシニア市場離れが少しずつ進んでいます。そして、その分だけ、収益モデルとしての地上波というのは、厳しい環境に追い込まれています。
そんな中で、水曜22時に文芸タッチのドラマを入れて、高購買力層を狙うという動きが出てきたと考えられます。この動きですが、ネトフリに取られていた高購買層を地上波が取り込めそうだという「プラス」の動きなのかというと、どうもそうでもないように思えてなりません。
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