【沖縄】異国に眠る者へ…琉球の歴史を肌で感じる手泊外人墓地

2015.02.18
by kousei_saho
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泊外人墓地 (那覇市泊)

今回ご紹介するのは、泊港北岸近くにある『泊外人墓地』。かつて布教や交易で沖縄を訪れ、沖縄で亡くなった外国人が眠る地です。ただし、墓地とはいっても街中の開けたところに隣接し、たくさんの白い十字架に青々とした芝生のコントラストが美しい場所。十字架が整然と並ぶ光景はさながら横浜をイメージさせるかも(映画のロケにも使われたことがあるそう)。また、ここは墓地であるだけでなく、1853年にペリー提督が琉球に初めて上陸した場所としても知られています(敷地の一角に上陸記念碑もあり)。

ペリー提督上陸の碑

ペリー提督上陸の碑

古くから、22基の外国人墓があった泊外人墓地は、かつてはウランダー墓とよばれていたそうです(ウランダーとは沖縄方言で外国人の総称。要はオランダが訛った言葉で、外国人はすべてオランダとよばれていたということ)。元々葬られている22人は、清国人、アメリカ人、イギリス人、フランス人など。このうちもっとも古いのは清国人のもので、墓碑から1718年(康煕57年)、1750年(乾隆15年)1785年(乾隆50年)の年号が読みとれます。ちなみに、1785年の墓は、『中山世譜』によると、船から落下し、漂流中に琉球人に助けられた清国人4人のもの(結局、4人の清国人は亡くなった)。

清国人墓

清国人墓

お墓の中で、とても興味深いものがひとつ。それはアメリカ人、ウィリアム・ボードの墓です。ウィリアム・ボードは、ペリー提督の黒船と共に琉球にやってきた水兵のひとりでした。水兵ウィリアム・ボードは、ある夜、仲間と一緒にこっそり船を抜け出し、泡盛を飲みすぎて泥酔。その挙句、琉球人の女性をレイプしたそうです。それを知り怒った琉球人が石を投げながら追ったところ、ボードは崖から海に転落して死亡したとのこと。不名誉な亡くなり方をしたボードの墓はこぢんまりとひっそりと泊外人墓地にあります。

ウィリアムボードの墓は小さい

ウィリアムボードの墓は小さい

ところで、墓地には300余の墓があるそうですが、ほとんどは戦後のもので、簡素な白い十字架だけの墓です。眺めていると没年1965年と刻まれている墓が多いのですが、これはベトナム戦争の戦死者がほとんどだそう。ただ、なぜ母国アメリカではなくここ沖縄なのか、と疑問に思った方もいるかもしれません。実は、ベトナムで亡くなったアメリカ兵の中には戦死した場合の埋葬場所として、母国アメリカではなく沖縄を希望した者も多かったとか。戦地に行く前に滞在した沖縄に(もしくは沖縄の女性に)心を奪われていたのかもしれないですね。

没年1965の墓

没年1965の墓

最後に、泊外人墓地は墓地ですので、不謹慎に観光スポットとして足を運ぶところではないです。ただし、琉球時代から良くも悪くも、たくさんの外国とのとのかかわり合いの中で生き抜いてきた琉球と外国との接点でもあった場所。いわば、歴史的にとても貴重な場所といえます。泊港(とまりんのすぐ近く)から歩いて1、2分ですので、見学に行ってみてはいかがでしょう。琉球の歴史を肌で感じることができるかもしれませんよ。

iha伊波 一志(いは かずし)
1969年、沖縄生まれ。写真家。香川大学法学部卒。2007年夏、44日間で四国八十八カ所1,200kmを踏破。現在、沖縄県在住で、主に『母の奄美』という作品撮りのため奄美大島を撮影中。家族は、妻と三人の子。
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