今ではもうピンとこない人が多いかもしれませんが、戦後しばらくの頃まで、とくに少年たちの間での読売ジャイアンツ人気は大変なものがありました。そんな人気ぶりにあやかった駄菓子が「紅梅キャラメル」です。今回の無料メルマガ『郷愁の食物誌』では著者のUNCLE TELLさんが、少年たちを夢中にさせた紅梅キャラメルブームの過熱ぶりと悲しい最後を紹介しています。
紅梅キャラメル
「紅梅キャラメル」については、実のところ私は記憶がおぼろだ。夢中になったという感触がない。その頃、昭和25年~30(1950~1955)年頃は親父の転勤で新潟市と長野市で暮らしていたが…。しかし友だちが夢中になって集めたおまけの懸賞カード、プロ野球読売巨人軍(ジャイアンツ)の選手の写真(プロマイド)を見た覚えははっきりとある。
「野球は巨人、キャラメルは紅梅」をキャッチフレーズに「紅梅キャラメル」は、10粒入って10円だったが、売れに売れたという。
私の『郷愁の食物誌』の貴重な参考書、『駄菓子屋図鑑』(奥成達・ながたはるみ著 飛鳥新社)にも載っているので、そこからへんの様子をちょっと紹介してみよう。
少年たちあこがれのジャイアンツの当時の選手たちのプロマイドカード、監督は水原茂、以下、千葉、青田、川上、与那嶺、内藤、宇野、小松原、別所、中尾、大友、南村、平井、広岡、加倉井、土屋、岩本、藤尾、樋笠--、巨人軍の第2期黄金時代の選手たちがズラリ、まだ長嶋も王も登場する以前のスターたちである。
このプロマイドカードにはそれぞれ点数がついていて、カードを何十点か集めると、その点数に見合った賞品が貰える仕組みになっていた。点数が少ないとサイン入りプロマイドくらいだが、何十点、何百点になると、ボール、グローブ、ミットやバット、帽子からユニフォームまでみなそろってしまうという豪華さ。その他にもカードの裏に、安打、二塁打、三塁打、ホームランと表示された当たり券が印刷されているものがあるなどいろいろな組合せ、仕組みがあり購買欲をあおっていた。ホームランカードではなんと後楽園の巨人戦の入場券としても使用出来たという。
ブームは加熱し、カード欲しさに万引きをはたらく少年が続出したということなどもあり、PTAの不買運動が広がり、またくじ付き販売の規制を始めた公正取引委員会にも目をつけられた。その結果、不買運動の波はさらに勢いを増し「紅梅製菓」はあっけなく倒産、子どもたちを熱狂させた「紅梅キャラメル」は、わずか6年であっという間に駄菓子屋の店先からいっせいに姿を消してしまったという。ネットで見るとこの「紅梅キャラメル」の野球カード、ヤフーのオークションなどマニアの間では今でもけっこういい値でも取引されているようだ。
全国には懐かしがる向きも多いようで、ネット検索するけっこう出て来るがその中から一つ紹介しておこう。「さよなら紅梅キャラメル」という本である。