今も五輪マークが随所にみられるサラエボの街は、1980年代の平和な記憶と、1990年代の内戦という断絶を抱えながら現在も動き続けています。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、サラエボ大学との学流交流や街歩き、青果物市場や内戦博物館に訪れた際に感じた記憶と対話、そして共生の困難さへの問いかけについて語っています。
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サラエボの街角、青果物の市場が語るもの
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの街角には、今も五輪のマークが随所にみられ、お土産屋には必ずオリンピック開催時の五輪のマスコットの商品が売られている。
1984年の冬季五輪開催から40年以上が経つ、という歳月の長さだけではなく、1992年から96年の内戦を挟んでも、その都市の誇りが保たれていることに驚く。
それは平和だった時代の憧憬なのかもしれない、と現地の方々と話していて気づくことになる。
サラエボで生まれた2人の研究者は「この町はトラウマを抱えている」「内戦を経験した誰もがPTSDである」との言葉に、その現実を思う。
今回はサラエボの大学との学術交流等を話し合い、メディア研究に関するフィールドワークが目的であるが、前述のような何気ない会話の中にこの土地で注意しなければならない対話の課題があり、真の共生社会に向けての道のりの険しさを突きつけられている。
サラエボはディナール・アルプスに取り囲まれた盆地で山々の雪が美しく、市内中心にはミリャツカ川が流れ、イスラム教のモスク、正教会やカトリック教会、ユダヤ教のシナゴーグが共存している。
何世紀にも渡る共存は、結果的にユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体に伴うボスニア内戦の火種になった。
実際に現在もサラエボに隣接して、ボスニア・ヘルツェゴビナの構成体のひとつであるスルプスカ共和国があり、この首都である東サラエボはサラエボ市街から歩いて行ける場所であり、いまだに分断が続いているといえる。
内戦では国内の各地で戦闘と虐殺が繰り返され、盆地であるサラエボは主にセルビア人勢力に包囲され、1992年4月5日から1996年2月29日まで常に攻撃にさらされて市民が殺されていった。
市内中心部にある旧市街バシュチャルシヤには土産物屋やレストランが並び、そこからほど近い場所にマルカレ市場がある。
青果物を中心に売られている市場は殺戮の現場としても知られる。
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