名古屋市長選で河村たかし氏に敗れた後に亡くなった元国民民主党の大塚耕平氏。日本銀行出身でありながら、現在の日銀が「株価の番人」に堕ちる中、亀井静香氏が金融担当大臣時代に提唱したモラトリアム法案を陰で支えた骨のある人物でした。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、辛口評論家として知られる佐高信さんが、大塚氏の知られざる功績を追悼譜として綴ります。
追悼譜 大塚耕平
日本銀行出身者としては、国民民主党などというハンパな政党にいるなと思っていた。
現在の日銀は「物価の番人」ならぬ「株価の番人」になってしまっているが、私の知っている日銀出身者には骨のある人物がいた。
バブルに乗っかった融資を断固としてやらせなかった北洋銀行頭取(のちに会長)の武井正直や、ロングセラーの『ルワンダ中央銀行総裁日記』(中公新書)を著わした服部正也である。
武井や服部に私は親しくしてもらったが、武井は「バカな大将、敵より怖い」と常々言っていた。
この2人に比して、大塚はいかにも線が細かった。名古屋市長選に出て、バンカラ野郎の河村たかしのカイライに敗れた。
亀井静香との運命の出会い
私が大塚を知ったのは、亀井が鳩山(由紀夫)政権の金融担当大臣になった時である。
亀井はいきなり、モラトリアム法案(中小企業金融円滑化法案)を提唱した。中小零細企業や住宅ローン利用者の借金の返済猶予を銀行に促す法案を作ると宣言したのである。
亀井の『永田町動物園』(講談社)の大塚の項からその後を引く。
「誰にも相談せずにぶち上げたから、鳩山が慌てふためいたのは当然だが、自民党や公明党、それに金融庁も腰を抜かした。大反対の嵐で、理解を示す者は誰ひとりいなかった。四面楚歌のなか、唯一法案の意義を理解してくれたのが金融担当副大臣の大塚耕平だった」
モラトリアム法案を支えた男
頭脳明晰で理解力もある彼ならやってくれると思って、法案の骨子から中身の作成までをすべて任せることにし、亀井は大塚が法案作成に集中できるように、委員会の答弁など外との対応の矢面に立った。
金融機関の「貸し渋り」や「貸し剥がし」が横行して、自殺者も出る中で、亀井は「貸手責任」を問うたのである。
しかし、新聞は連日、亀井を叩き、全銀協の会長をはじめ、各銀行の頭取が大臣室に押しかけてきて、「貸した金を返してもらうのは当たり前じゃないか」と亀井に迫った。
「カネ貸しは貸した金に利息をつけて返してもらってこそ、商売が成り立つんじゃないか!返せなくなったら、それを押さえて競売にかけて回収しようとしたらお前たちは儲からない。借り手を潰したら返ってこないじゃないか!彼らがやがて利息と共に返すから、お前たちは商売が成り立つ。企業が成長すれば、借りた金は返せるんだから、貸し渋りはするな!」
亀井は「彼なくしては法案成立までこぎつけなかった」と大塚に感謝し、「これからも弱者に寄り添った政策を作ってもらい、日本の政界を引っ張っていってほしい」と望んでいるが、その願いは果たされなくなった。
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image by: 首相官邸ホームページ, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons







