6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本

sugihara
 

みなさんは、6000人ものユダヤ難民にビザを発行し多くの命を救った「杉原千畝(ちうね)」という人物をご存知ですか? 日本のシンドラーとの異名をもつ彼は、諜報外交官としても一流だったそうです。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、そんな杉原の情報収集能力にも注目し紹介しています。

杉原ビザは、諜報外交官としての手腕と国益への志から生まれた

先の大戦前、バルト三国の1つ、リトアニアの領事代理となり、ソ連のポーランド侵略から逃れてきたユダヤ人難民約6,000名に日本通過ビザを発給して命を救った杉原千畝(ちうね)の功績が国際的に知られつつある。

シカゴ近郊で、ユダヤ人受難の記録を展示するイリノイ・ホロコースト博物館の教育委員長リチャード・サロモン氏が史料の借り出しのために来日したさい、杉原のビザ発給リストを見つめていた様子を、「杉原千畝: 情報に賭けた外交官」の著者・白石仁章氏はこう伝えている。

「この名前は私の父です。これは叔父、これは従兄弟(いとこ)」と説明し、しばし絶句しつつ、涙を浮かべながら、しみじみと「杉原がいたから私たち一家がいるのです」と語ったことは、特に印象的であった。サロモン氏は両親がアメリカ到着後に生まれたそうだが、この世に生を享けたのも、杉原のヴィザ発給ゆえに他ならない。
(p 163)

杉原千畝については弊誌でもすでに3度紹介しているが、近年、研究が進んで、杉原が類い希なインテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)であったことが判ってきた。ユダヤ人救出も、彼の人間愛のみならず、諜報外交官としての手腕と志から生み出されたものであった。

ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)

約6,000人のユダヤ人にビザを発給して救った杉原ではあったが、皮肉にも、彼自身のビザ発給を拒否されたことがある。

昭和11(1936)年暮れ、杉原はロシア語の二等通訳官として在ソ連日本大使館に勤務するよう命ぜられ、在日ソ連大使館にビザを申請したが、翌年2月に入っても発給されなかった。

外務省が督促すると、ソ連側は「関係省庁が反対するので、ビザの発給を見合わせることとした」と電話で通告してきた。外交用語での「ペルソナ・ノン・グラータ好ましからざる人物)」の扱いだが、大使・公使ならともかく、通訳官のような一般館員へのビザ発給拒否は「国際慣例上先例なきこと」として、外務省は激しく抗議した。

その後、重光葵(まもる)駐ソ大使まで乗り出したが、ソ連側は態度を変えず、しかも「杉原だからダメだ」というのみで、理由も明かさない。ついには互いへのビザ発給拒否の報復合戦にまで発展したが、杉原のソ連入国はついに諦めざるを得なかった。

ソ連が杉原を恐れたのは、彼の諜報活動で煮え湯を飲まされた経験があったからだ。1933年にソ連から北満(北部満洲)鉄道を売却するという提案がなされ、満洲国代表として当時、同国外交部に派遣されていた杉原が交渉にあたった。ソ連側の要求6億5,000万円に対し、満洲国側の提示額はわずかに5,000万円だった。

杉原はソ連側の金額の根拠について疑義を示した。満州国内で鉄道網整備が進み北満鉄道の経済価値が下がっていることから、鉄道施設が老朽化していることまで明らかにした。「ソ連がどれだけの貨車を持ち出したとか、北満鉄道の内部のあらゆることを自分の諜報網を使って調べ上げてしまった」と、杉原と親交のあった友人は証言している。

ソ連側はやむなく提示価格を2億円と一挙に3分の1以下に引き下げ、満洲国側も歩み寄って、1億4,000万円で妥結した。ソ連側のハッタリを諜報外交官・杉原が完全に読み切って大幅な譲歩を余儀なくさせたのである。ソ連にとって「好ましからざる人物」と烙印を押されたのも当然であろう。

プロの諜報外交官

杉原の「諜報網」とは満洲における白系ロシア人社会に築いたものだった。白系とは共産主義の「赤」に対する「白」という意味で、共産革命に反対したり、あるいは共産党の弾圧を逃れてきたロシア人という意味である。

杉原はロシア人の家に下宿し、個人教師を雇ってロシア語を学んでいた。さらにロシア婦人と結婚していた時期もあり、そうした縁から白系ロシア人社会に諜報網を築いていったようだ。

諜報とは機密情報を入手することだが、その正攻法は情報を握る相手と信頼関係を結んだ上で、「ギブ・アンド・テーク」を行うことだ。相手を騙して情報を盗むようなことをしていては、信頼を失い、相手にされなくなってしまう。この点で、諜報は相手を騙す謀略とは全く違う

杉原の諜報外交官としての類い希な手腕は、ソ連との交渉に現れている。杉原は、誰からどのような情報を得たのかという痕跡をいっさい悟られずに、情報提供者を護った。だからこそソ連側が入国ビザ発給を拒否した際も、具体的に理由も説明できず、単に「好ましからざる人物」としか言えなかったのである。

さらに白系ロシア人はソ連に敵意を抱いており、杉原に協力して価格交渉に勝たせれば、一泡食わせることができる。それゆえに、積極的に情報を入手し、杉原に提供しようとする協力者もいたのだろう。

こうした形でソ連の機密情報を掴み、それを交渉に活かしたのは、まさに一流の諜報外交官の手腕であった。

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