6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本

 

情報外交官としての手腕

杉原はこの訓電への返事を引き延ばしてビザの発給を続け、9月1日に、難民に同情すべき点があるので、条件付きでビザを「発給している」との回答を送った。

この時点ではソ連の命令ですでに領事館を閉じ、ビザ発給を終えていたのだが、「現在進行形」を用いることで、本省サイドに「まずは、早急にビザの発給をやめさせなくては」という「焦り」を生じさせることを狙ったようだ。翌日、本省から再び「以後は」規則を守るようにという訓電が来た。これで、今まで発給したビザはすべて本省が認めたことになる。

日本の官僚の良い点でも悪い点でもあるのは、規則を四角四面に守ろうとすることである。世界で虐待されているユダヤ人に対しては日本政府として正式に「猶太ユダヤ人対策要綱」を決め、平等に扱うように決めていたからもちろん差別などできない。

外務省としては「外国人入国令」をぎりぎりでも守った形の杉原ビザをこうして認めた以上、受け入れざるを得ない。その辺りを読み切ったのは、杉原の諜報外交官としての手腕であった。

ユダヤ難民たちは杉原ビザにより、ウラジオストックから船で敦賀に着き、神戸に出て、アメリカ入国のビザを待ったのだが、その間、日本の受入れ担当者や敦賀、神戸の市民から温かく遇された。この親切さは今も昔も変わらない日本人の特性である。

「それが果たして国益に叶うことだというのか?」

杉原ビザは、こうして彼のユダヤ難民への同情を、諜報外交官の手腕で実現したものだ。しかし、その動機にも「外交官」としての志があったようだ。杉原は後年、「決断 外交官の回想」という手記にこういう主旨のことを書いている。

全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々(うんぬん)を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか? それが果たして国益に叶うことだというのか?
(p 234)

ここに見られるのは「自分がどう動くことが国益に叶うのか」を自問自答しながら、自分個人の判断と責任で動いていく諜報外交官の姿である。

冒頭に紹介したリチャード・サロモン氏の涙からは、杉原ビザがいまだ多くのユダヤ人の心中に感謝の思いとして残っていることが窺える。

125年前に和歌山県沖で遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号」を県民が救ったことから、日本とトルコの友好が現代まで続いているように、杉原ビザを日本人とユダヤ人の友好のきっかけとするのは、現代の我々の責務である。

杉原ビザに関しては、最近、ポーランドの協力を得て映画化され公開中だ。戦前、戦中に日本はいろいろな形でユダヤ難民を助けている。まずは我々日本人が、それらの史実をよく知ることから始めなければならない。

文責:伊勢雅臣

image by: Wikimedia Commons

 

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣
購読者数4万3千人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
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