外国人だから見える日本の美点。「和の国」が世界中を感動させる理由

 

お互いに「すみません」

スクランブル交差点での傘の群舞」とは、一人ひとりの行きたい方向はそれぞれだが、互いに他の人のことを思いやって、全体としてひとつの秩序を生み出している日本社会の見事な象徴である。そこには一人ひとりの自由と、共同体としての秩序が共存している。

我が国ははるか太古の時代に「大和の国」、すなわち「大いなる和の国」と自称した。アメリカから来た老夫妻が見た「スクランブル交差点での傘の群舞」は、まさにこの国柄が現代にも息づいていることを窺わせる。

「大いなる和の国」が成り立つのは、一人ひとりがすれ違う相手のことを思いやる心を持っているからである。この思いやりは、日本に来た多くの外国人が感じとっている。

中国から来て日本滞在20年、今では帰化して大学で中国語を教えている姚南(ようなん)さんはこう語っている。

これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。

 

ある日、混んだ電車に乗っていたときのことです。立っていた私は、揺られた拍子に後ろに立っていた女性の尖った靴先を、自分のヒールで踏んでしまったのです。すぐ「ごめんなさい」と謝ると、その人は微笑んで「靴先は空いているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。

 

日本人は他人の生活に干渉しません。うわべの付き合いのように見える関係は、多くの中国人が偽善と感じるものですが、私は、自分の主張を人に強制して受け入れてもらう必要はなく、干渉せず、お互いに好意を持って付き合い、人が困ったときに助けてあげれば良いと思います。

お互いの自由な生活を尊重しつつ、困った時には助けてあげるのが、「大いなる和の国の流儀である。

周りの方の「がんばれー」光線

この流儀は、もちろん海外から来た人々にも発揮される。北アフリカのチュニジアから来た学生のアシュラフ・ヘンタティさんは、まだ滞在1年未満だが、こんな体験をしている。

僕はまだ日本に慣れていなくて、日常生活でも、日本語でも、悪戦苦闘の日々なのですが、いろんな場面で、皆さんが「がんばって」「がんばってください」「がんばってね」と声を掛けて下さいます。

 

実は初め驚いたのです。よその国では、そういう経験があまりないからです。日本では乗り物などでマゴマゴとまどっていたりすると、周りの方の「がんばれー」光線を感じます。身も知らぬ僕のためにハラハラと心配してくれているのですよね。例えば、これがフランスなどですと、むしろ冷たい視線を受けてしまいます。自分の権利やふるまいには自信や主張を強く持っていますが、他人にはかなり冷たいところのある国ですから。

 

逆に日本は、僕のようにあまり深いつきあいのない外国人であっても、そんな風に誰もが励ましのエールをくれます。温かいなあと感じます。「がんばって」と身近な皆さんに言われて、それがプレッシャーだった時もあるのです。こんなにがんばっているのに、自分はそんなにがんばっていないように見えるのだろうか、と。今は、その言葉が励ましの意味だけでなく、むしろ「見守っていますよ」という温かい気持ちの代わりの言葉なのだと解って来ました。

「スクランブル交差点での傘の群舞」の中で、一人マゴマゴしている外国人がいれば、「がんばって」と声をかけるのが、「大いなる和の国」を成り立たせている思いやりの心である。

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