働いてない人は目が死んでる。寿命100歳時代を生き抜く方法とは?

 

70歳で介護施設に就職

熊野忠孝さん(76歳)は、現役時代は商社マンとして海外を飛び回っていたが、63歳で定年退職、その後、商社時代に付き合いのあった会社で66歳まで働き、さらに70歳までは週1日の契約で、別の会社の相談役をしていた。

残りの6日間はやる事がなく、いつか中国史を学んでみたいと思っていたので、図書館通いも始めたが、だんだん足が遠のいてしまった。大の甘党なので、饅頭や大福を食べながら、朝からテレビを見ていると、体重がみるみる10キロ以上も増えてしまった。

「体は重いし、腰は痛いし、困ったな」と思っているところに、昔の職場の後輩で、介護施設を立ち上げた所長が、熊野さんを入居対象者として勧誘しにきた。もちろん入居する気はまるでなかっが、「とにかく痩せたい」と思っていた所に、「うちで働いたら、すぐ痩せますよ」の一言。

それから熊野さんは、福祉専門学校に通い、70歳手前ホームヘルパー2級在宅介護の資格をとって、水曜から日曜までの週5日、介護施設で働き始めた。仕事の内容は、日帰りのデイサービス利用者の食事介助、入浴やトイレ介助を中心に、施設内の清掃や厨房での皿洗い、と何でもこなした。

現役時代は一切家事をしてこなかったので、すべての仕事が初めてだった。入居者の抱きかかえ方、背中の洗い方などで「そんなんじゃダメだ!」と叱られれば、「日本一の三助になろう!」と努力し、褒められればとても嬉しかった。

朝5時に起きて通勤2時間、施設には7時半に着いて、夕方5時半過ぎまで働く。万歩計で計ると、毎日1万4,000~5,000歩も歩いていた。わずか半年で、かつての体重に戻った。

今日も1日お疲れ様

施設の仕事は人対人だ。仕事だから相手も遠慮しないし、ごまかしは効かない

入居者は80代が中心で、70代の熊野さんが出勤すると「おじいが来た、おじいが来た」と喜んでくれる。元魚屋さんや元パン屋さん、元校長がいたりで、元商社マンの熊野さんの知らない世界の話が聞けるのは、とても新鮮だった。熊野さんも商社マン時代に全国あちこちで仕事をしていたので、それを話す。

日々の仕事に加え、「先生」役も始めた。「五七五の会」と称して川柳のような5・7・5のリズムの詩を入居者の人たちと作る。「梅」「節分」「春」などと題を出して、みんなの前で発表して貰う。

レクリエーションに参加することを頑なに拒み続けていた男性がいたが、「梅で一句!」と声をかけたら、その男性はつい乗せられて、一句すらすらと書いた。それを褒めると、いつも怒ったような顔つきをしていたのに、とても嬉しそうな表情になった。以後、積極的にレクリエーションに参加してくれるようになった。

1日の仕事の後には、1杯の缶コーヒーを飲む。「今日も1日お疲れ様」という自分なりの儀式で、これが、今、一番の幸せの瞬間だ。介護の仕事は決して楽ではないが、やればやるほど手応えがある。奥さんとの仲も、とても良くなった。熊野さんは、そんな今が一番幸せだと感じている。

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