新緑に映える艶やかな舞。チャップリンも愛した京都「鴨川をどり」

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今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』で取り上げられているのは、「舞台に咲く京都の春。『都をどり』で日本の魅力を堪能する」でご紹介した「都をどり」と同じだけの歴史を誇る「鴨川をどり」。派手で楽しい雰囲気の舞台は、伝統芸能に明るくない方でもぐっと入り込めてしまうエンターテイメント性の高い仕上がりとなっているそうです。ぜひ一度足を運び、贅沢なひとときを過ごしてみませんか?

「鴨川をどり」先斗町歌舞練場(5月1日~24日)

先斗町(ぽんとちょう)の春のをどり「鴨川をどり」は、1872年明治5年)に始まりました。都をどりと同じだけの歴史があります。

人ひとりがやっとすれ違うことが出来るぐらい狭い路地には千鳥紋をあしらったかわいらしい赤い提灯が所狭しと吊るされています。鴨川の冬のシンボルの1つである千鳥をデザインした千鳥紋は鴨川をどりが始まった明治5年に創案されたものと伝わります。

明治の一時期や第2次世界大戦で中断された時もありましたが、戦後すぐに再開され現在に至ります。1951年から1998年までは、春・秋と年2回の公演が行われていました。その公演回数は京の五花街のなかでも最多公演回数を誇ります(今年で179回目)。現在は秋には「水明会」という名前で秋の踊りが行われています。

鴨川をどりは海外でも高い評価を受けチャーリーチャップリンなどをも魅了しています。昭和初期の鴨川をどりには、洋楽が使用されたこともあり、伝統を守るだけでなく常に新しさを求めて発展してきました。

例年鴨川をどりは5月1日5月24日に鴨川沿いの三条木屋町周辺にある先斗町歌舞練場で行われます。舞の流派は尾上流です。

見どころは総踊形式の都をどりや京おどりと違い、第1部が舞踊劇、第2部が舞妓らの出演による尾上流で純舞踊の2部構成です。派手で楽しいという印象があり伝統的な踊りというよりショーと言った感じもします。そのため舞踊「をどり」の知識や経験が無くても見ていて楽しさが伝わってきます。

先斗町は江戸時代初期に鴨川の州を埋め立て、茶屋や旅籠が置かれていたのが始まりと言われています。先斗町の地名はポルトガル語のpontoが語源とも言われています。この場所は以前京の都の極東、東の端っこ(先)だったのが由来とか。また鴨川と高瀬川の2本の川に挟まれているので2枚の皮に挟まれている鼓に例えられ、鼓のポンと鳴る音に掛けたとも。更に高瀬川を行きかう高瀬舟の船頭衆のせんど丁に由来するとも言われています(諸説あり)。

さて、今回もお茶席付きの観覧券を4,800円で買って観覧するとしましょう。先斗町歌舞練場は劇場建築の名手と言われた大林組技師・木村得三郎設計による東洋趣味を加味した昭和建築です。三条木屋町を少し下(さが)ルとその建物はあります。

京都市内は碁盤の目なので下ルは南側上ルは北側を指します。これに東入(い)西入ルを付けるだけで場所が正確に分かるようになっています。

三条木屋町近辺は今では若者の町で京都有数の歓楽街なのですが、先斗町歌舞練場はこの地に雅の世界をアピールしています。以前からこの地は木屋町通を流れる高瀬川の旅客や船頭のための花街でした。そう考えれば、今も昔も浮世の世界ということも言えます。

入口を入り、右側にある古めかしいエレベーターに乗り4階に上がると風流な立礼式の茶席が用意されています。「椅子点前」と称される点前作法です。明治5年に仙洞御所で京都博覧会が開催されたときに、裏千家11代玄々斎宗匠が外人客の接待のお茶のために考案されたと伝わります。

この立礼席の茶席は京都の他の花街の春のをどりの場でもその席が用意されています。目の前で舞妓さんがお茶を点てる様子や静々と運んできてくれるのを見ることが出来ます。鮮やかな着物の美しさや光り輝くかんざしが揺れる様は日常とはかけ離れた浮世の世界です。

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