経済効果も期待薄
昔はサミットを開催する経済効果があると盛んにいっていた。サミット開催により訪れる人が増加するともいっていたが、近年はむしろサミット開催時期を避けて訪問している傾向にある。今回の伊勢志摩サミットでも宿泊者の大半が警備関係者で、一般の人はなかなか来ない。北海道洞爺湖サミットの時も同様の現象であった。
そういう意味からサミットが来るとむしろ一般のお客様が来ないのではないかという側面の方が多い。中部圏社会経済研究所によると観光客が約27万人減少、それに伴い観光消費額も約32億円減少すると試算している。
地元でも交通規制が厳しくなかなか観光が出来ないと悲鳴をあげ、警備の方々の宿泊ではあまり地元におカネは落ちない。伊勢志摩サミット開催後は来る人がいるかもしれないが、そういった可能性はそこまで期待はできない。
錯覚から大きな過ちに
昔と違ってテロに対する警戒感が圧倒的に強まり、2020年開催の東京オリンピックに関しても当初3,000億円とも言われた運営費が一部報道で1兆8,000億円と6倍にもなるともいわれ、警備には非常におカネが掛かり、警備が増えれば増えるほど一般のお客さんは来なくなるという悪循環を繰り返している。ただ日本は国際会議を開催したことで権威があがったように政治家たちは錯覚するというところがあるのだろう。
弱体化が進行するサミット
海外のサミットにもずいぶん行ったが、最近は国ごとの違いはなくイタリア・ジェノバサミット(2001年)で暴動が起きてからは皆、山の中でのお籠りサミットとなり先に述べたように会場と取材センターが30、40km離れ、中継でつなぐだけなので東京でやっても同じである。首脳たちが開催地の国民と接するという本来の意味もなくなってきた。結局80年代頃までの牧歌的な時代の方がサミットらしかったと言える。
繰り返しになるが、以前はサミットが自国で開催されることにより、国民に持ち上げられ世界の中心がわが国にあるなという気概もあったが、今やそういったことは感じられなくなってきた。その中で、日本は国際会議を招致しようとしていることは、一足遅れている感じが否めず、招致することが偉いという気持ちがあるのだろうか?
いずれにせよ無事に終わって欲しい。
(TBSラジオ「日本全国8時です」5月10日音源の要約です)
image by: Wikimedia Commons
『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』
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