【書評】2049年に達成か。中国が米国に仕掛けた「100年越しの罠」

 

「100年マラソン」が引き起こした中ソ対立

博士が「100年マラソン」の戦略に気がつくと、中ソ対立もそれが原因だった事が、改めて了解できた。

1969年、中国はアメリカに、ソ連と対抗するための協力をしたいと申し出た。ニクソン政権はそれを受けるかどうか決定するために、博士に分析を求めた。

博士は国連本部事務局のソ連職員アルカディ・シェフチェンコと仲良くなり、彼の意見を引き出した。彼は、何十年も中国はソ連の援助に頼る弱者を巧みに演じてきたが、その後で「ソ連の指導者は中国が共産圏の支配、ひいては世界支配を目論んでいると考え、中国人を憎み恐れている」と語った。

ソ連から来た他の国連職員もこう警告した。「中国に脇役に甘んずるつもりはない。彼らには彼らのシナリオがあり、世界という舞台の主役を射止めるためなら何でもする覚悟だ。アメリカが中国の誘いに乗れば、予想もしない結果を招くだろう」と。

しかし、当時、中国の経済規模はアメリカの10分の1に過ぎなかった。その中国がアメリカを追い抜くことを夢見るなどというのは非現実的なことのように思えたので、ピルズベリー博士は米政府に直接的な中国支援を推奨した。

こうして中国との新たな関係が始まり、それは、わたしたちが考えもしなかった重大な結果をもたらすこととなった。

(p 593)

「今になって、自分の単純さが悔やまれる」

1978年、カーター政権下で米中関係は正常化され、アメリカは中国を積極的に支援し始めた。中国は最初の5年間に1万9,000人の中国人留学生をアメリカの大学に送り込み、その後、さらに増やしていった。

1981年にレーガン大統領が署名した国家安全保証決定令」では、中国軍の戦闘能力を国際レベルにまで底上げするために、先進的な空陸海の技術を中国に売ることを許可するものだった。

またアフガニスタンに侵攻したソ連に対して、アメリカは反ソ・ゲリラを支援して泥沼化させ、これがソ連崩壊の大きな要因となったのだが、その際にも中国から20億ドルもの武器を購入して、ゲリラ勢力に提供している。

レーガン大統領はソ連打倒という点では巨大な貢献をしたのだが、その手段として中国を強力に支援して、ソ連への圧力とするという戦略をとったのだ。

レーガンは中国の危険性にも気がついていて、対中支援の指示書にサインする際にも、「対中支援は、中国がソ連からの独立を維持し、独裁体制の民主化を図ることを条件とする」という但し書きをつけたのだが、この条件はなし崩しにされた。「民主化」を図っているという中国側のポーズに誰もが騙されたのであろう。

アメリカのビジネス界も、中国市場が世界最大となるという見通しのもとに、米政府の対中支援を支持し、積極的に中国進出を図った。しかし自動車などの重要産業は中国政府との共同出資を義務づけられたため、中国側に経営を握られ技術も盗まれていった

自由を求める学生や若者を大量虐殺した天安門事件が起こっても、ブッシュ政権下の中国支持者は、ピルズベリー博士も含めて、これはタカ派の過剰反応で、鄧小平率いる「穏健派」を保護すれば、彼らはやがて中国を民主化への道に戻すだろうという1つの仮説にしがみついていた。博士はこう後悔している。

今になって、自分の単純さが悔やまれる。優れたアナリストなら、1つにすべてを賭けたりはしない。

(p 1,733)

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