仲間外れや無視…。子どもを自殺に追い込む「軽微ないじめ」の危険性

 

その最中、一本の電話が鳴った。学校から母親への電話で、彼女が午後の授業に出ていないという連絡であった。

どうやら、お昼の時間に学校を飛び出してしまったらしいという電話だった。

”まずいな”私は受話器の先に漏れて聞こえる話の内容から、そう直感した。

しかし、その直後、本人が帰宅した。

私はテーブルの奥に座っていたので、彼女の様子をしっかりこの目に収めた。

歩く姿勢が悪く、首から頭が少し前に垂れ下がるような格好で、表情には泣いた跡があり、唇が乾いているように見えた。
その様子には全く生気がなく、魂が抜けたような印象であった。

母親が気まずそうに私を紹介しようとしたが、彼女はそのままベランダにつながる窓ガラスの方へ向かっていて歩みを止めなかった。

私は駆けて、彼女の腕を掴んだ。

彼女はそれを振り解こうとしたが、私は離さなかった。

「お母さん!早く!」と叫び、母親に彼女を止めさせた。その場で親子が座り込み、泣き崩れた

私は母親のスマホから先ほど電話をしてきた学校に電話をして、本人は帰宅したがいじめを受けていたようで、ベランダから飛び降りようと歩いているところを取り押さえた。
今は泣いているので詳細な内容は分からないが、話を聞きだすので、内容が分かったら報告すると言った。

この日、彼女は仲良しグループの中でも親友であった子に、理由はわからないがとにかく謝り話し合いをしようと心に決めて登校した。

そのチャンスはなかなか訪れず、お昼休みになろうという時に、意を決して歩み寄った。

しかし、グループの中で主張が強いリーダー格の女子生徒に、突き飛ばされて、

そろそろ気がつけよ、ウザいんだよ。

と言われた。

それを、その親友は、何も言わず笑っていたことで、大きなショックを受けた。

大人はこの程度でと思うかもしれないが、世界観が狭く、行動範囲も狭い、また失敗などの経験も少ない思春期で、その中でも感受性が強く傷つきやすい子が、強い所属感をもったコミュニティから疎外されれば、心に大きな傷を負うことは明白な事実であろう。

これを大人の尺度で考えてはならないし、大人の尺度でしか考えられない人間は、子どものいじめ問題に関わる資格を有しない。
なぜなら、子ども間で起きている問題だからだ。

彼女はこの出来事で、これまで我慢してきたことや、自分では気がつかないふりをしてきたが、無視をされていて惨めな思いをしてきたことが、沸点に達し、その場にいることができずに、学校を飛び出した。

はじめは、どこに行こうかとも考えていなかったが、自然と帰路についていたそうだ。
呼び鈴を鳴らそうと思ったが、鍵が開いていたので、そのまま中に入り呆然としたままベランダに向かったということであった。

もしも、この日私が相談を受けていなかったら、彼女の母親はパートに出ていた。
仮に、私がその異様な様子に気がつかず、腕を掴んでいなかったら、呆然とした彼女がそのままベランダに行っていた。

これは仮定の話であるが、ベランダに立ち真下を見下ろして意識が遠のけば、そのまま落ちていたかもしれない。

ちょっとした無視から始まったことなのだろうし、大人から見れば無視などは軽微なことなのかもしれないが、無視は、その人物の人格や尊厳、在り方を行動態度で否定したことを意味している事実を大人は、特に教育に携わる方は忘れていけない。

だから、無視も仲間はずれも、軽微ないじめではないのである。

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