世界初「自動包あん機」発明者は、なぜ前職を何度もクビになったのか

 

林虎彦氏は、菓子職人は芸術家だと思っていたのに、実際は機械的な反復作業であり、職人にとって本来「創作」とは考えている時間なのに、今の職人にはその時間がない、と思った。林虎彦氏は、その疑問点を解決するために、饅頭の自動製造機の研究に没頭していくことになる。

主人のいない店はあっという間に傾いていき、金沢の菓子店はわずか1年で倒産してしまい、鬼怒川で虎彦製菓を創業し「鬼怒の清流」をヒットさせるもこれも機械の開発のために他社に売却してしまう。

それでも林氏は、機械の研究に没頭する。そして昭和36年、10年以上もかかってついに、自動で餡を表皮で包み饅頭を作る自動包あん機が完成。世界初の画期的発明のこの機械は瞬く間に注文が殺到し、日本中の菓子職人の労働時間を激減させた。林虎彦氏はレオン自動機株式会社を設立し、饅頭だけではなく菓子パン、ピロシキ、月餅など、包む食べ物ならばなんでも応用して機械を供給し、量産化に大きく貢献していく。

そもそもなぜこのような機械が今までなかったかというと、饅頭は表皮も餡もねばねばしていて、機械で加工しようとしてもうまくいかないし、くっつかない工夫をすると素材の味が死ぬから、実現不可能と思われていたのである。林氏はそれを、レオロジー流動学)という、ほとんど世界的にも研究が進んでいない分野であるねばねばした物体についての研究によって大成させ、社名のレオン自動機もレオロジーにちなんでいる。

さらに、重なり合う素材を薄く伸ばして幾重にも折り曲げる延展機(ストレッチャー)という機械を発明し、これがクロワッサンやパイの量産を可能にして、アメリカやフランスではクロワッサンの価格破壊が起こった

こうして、世紀の大発明の数々によって世界中の食文化を大きく変えていったレオン自動機は、平成元年に一部上場を果たした。

林虎彦氏は、レオン自動機が軌道に乗った時に、かつて世話になった菓子店の店主たちを招待していろいろ話すと、どの店もクビになった理由を教えてくれた。老舗の菓子店は、それぞれ家伝の秘法を持っているから、林氏のようによく働き、勉強好きで研究熱心な者は店の秘密を盗みにきたかそうでなくても何かトラブルを起こすのではないか、と社内で声が上がったので辞めさせたのだという。

しかし、その勉強熱心さが、やがて業界を救ったのであった。

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