中国の「南シナ海活動は2000年の歴史」という真っ赤なウソを検証

 

「9段線」主張が生まれた歴史的な経緯

今回の審判で、中国が南シナ海への領土主権と海洋権益の主な根拠としてきた「9段線」は、「法的な根拠たりえない」として完膚なきまでに否定された。この問題を考える場合に、まず歴史的経緯として踏まえておきたいのは、次の3点である。

第1に、この海には、上に見たように「数千年数万年」に渡って領土とか主権とか境界とかいう観念そのものが存在していなかった。それを持ち込んできたのは、イギリス、フランス、ドイツ、米国、そして最後にそれらに見習って帝国化した日本などの侵略者たちであった。ヘイトンは書いている。「19世紀の初めには、なにをもって国とするかという点についてヨーロッパ人と東南アジア人とでは考え方が大きく異なっていた。東南アジアでは従来、政治単位はその中心によって、すなわち支配者の個人的な威光によって決まるもので、支配者の権威は王国の中心から遠ざかるにつれて減少していく。これに対してヨーロッパでは、少なくとも[1648年の]ウェストファリア条約以降は、政治単位はその境界によって決まるものになっていた。法も権利も義務も境界内には一様に適用されるが、境界の外には全く及ばないのだ。アジア的な体制では……どの支配者の権威も及ばないすきまさえ存在した。……ヨーロッパ的な体制では、すきまはどこにも残らない」(P.76~77)。

そのため「列強による陣取り合戦が、南シナ海における現在の国境線のもとになっている。列強は国を作り、国と国との国境を作り、それをもとに海上の境界線が引かれた」(P.80)。

  • 1529年、フィリピンとインドネシアの国境を葡西合意で分割
  • 1842年、マレーシアとインドネシアの国境を英蘭合意で決定
  • 1887年、中国とベトナムの国境をフランスが中国に押しつけ
  • 1898年、フィリピンの国境全体を米西で決定
  • 1930年、フィリピンとマレーシアの国境を米英で決定

「固定的な国境と領土主権という概念は、まるで何千年も前から存在したかのように当然視されている。しかし東南アジアでは、このような考え方はわずか1世紀強の歴史しかないのだ」(同上)。だから、中国が2,000年前にまで遡って「歴史的な権利」を主張すること自体が馬鹿げている。

第2に、その陣取り合戦に遅れて参加したのが帝国日本であり、1879年の琉球王国併合に続いて1895年に台湾を領有し、さらに20世紀に入って、その先、香港の東南のプラタス諸島(東沙島)、海南島の南方のパラセル諸島(西沙諸島)に手を伸ばそうとして、中国(最初は清、15年からは中華民国)及びフランスともめ事が起きた。このため中国はフランスがスプラトリー諸島(南沙諸島)の領有を宣言した1933年頃から地図制作に力を入れ始め、35年には水陸地図審査委員会の会報で「南シナ海にある132の島嶼の名を上げてこれらは正統な中国の領土であるとぶちあげた。その132のうち28がパラセル諸島、96がスプラトリー諸島に属している。しかしこのリストは、昔からあった中国名を集めたものではなく、航海用の海図に記載されている西欧名の音訳または翻訳だった……ばかりでなく、英国の地図を翻訳する場合に、数多くの誤りを引き継ぎ、新たな誤りまで増やしている」(ヘイトン、P.87)。

つまり、この海域のほとんどの島を「発見、命名」したのが中国ではないことに疑いの余地はない。彼らはこの島嶼リストを作る時に中国語の島名を持っていなかったのだ。

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