現地に住む日本人社長が「まだまだNYは危ない街」を否定する理由

 

同時多発テロのとき、世界中の多くの人が観光を避けました。それによる経済効果への打撃も記憶に残っています。

ここから先は、語弊があるので、ブログに書きづらいことですが、例えば、15年前の【同時多発テロ】の日。朝、航空機が突っ込んだ日。 僕は、ミッドタウンで、映画館に行きました。 映画館も従来通り営業をしていて、平日の日中くらいの客入りでもありました。

どうして、そんな日に、呑気に映画鑑賞なんてしたのか、もう15年前なので、記憶も定かではないのですが、そこまで深刻に考えてなかったのか。 あるいは、その時点で、ここまでの人類史に残る、歴史的事件になると想像つかなかったのか。 少なくとも、まだ経営者ではなかったので、経済的な危機の感覚は今よりずっと希薄だったと思います。

当時の日本の報道は、間違ってはなかったけれど、見た人の中には「マンハッタン自体が戦場」になっているような想像をされた方も少なくなかったようです。 なんなら街中を戦車が走ってる、、くらいの。

直接的な被害エリアは、実はマンハッタンの中のロウワーサイドだけという、誤解を恐れず言うと、非常に狭い範囲でした。

本当の意味での被害は、死傷者の数であり、政治的な脅威であり、経済的な打撃であったはずです。その被害に関しては、ここで記述する必要のないほどのダメージであり、世界的に見ても戦後最大です。

あの日、ミッドタウンで、日本人観光客がガイドブックを開き、五番街のショッピングの予定をキャッキャ話している光景も目撃しました。 テロから数時間後の、距離にして4キロくらいの場所でした。

それがいいのか、悪いのか。 そういう話ではなく。

ただ、僕が話したいことは、あの同時多発テロから、NYにもっとも旅行者が戻ってくるのが遅かった国が日本だったということ。

【危ない】というイメージで、日本からの旅行者が激減しました。もちろん、直後はどこの国の人も旅行先にNYを避けたかもしれません。

でも、あの同時多発テロの直後、防衛的にも実は世界でいちばん安全な街になっていた。 それどろこか街中、警官だらけになり、防犯的にも安全な街に激変した。

当時、スターバックスで隣に座ったオーストラリア人の女性がガイドブック片手に「今、ニューヨーク行きの飛行機チケットが安いのよ~と嬉しそうに話しかけてきたことを思い出します。

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