平安の女流作家「清少納言」は、頭が良すぎて嫌われていた?

 

「夜をこめて」は、(夜がまだ明けないうちに)という意味になります。「鳥の空音(そらね)は」鳥はにわとりで、「空音」は(鳴き真似)のことです。「謀(はか)るとも」の「はかる」は(だます)という意味です。「とも」は(~しても)。

鶏の鳴き真似の謀ごととは古代中国の史記の中のエピソードを指しています。これは後で説明しますが、この辺りの歴史もきちんと勉強して知った上でこのような歌を詠んでいるところに教養の深さを感じます。

「よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ」

「よに」は(決して)です。「逢坂の関」は男女が夜に逢って過ごす「逢ふ」とを掛けた掛詞です。「逢坂の関を通るのは許さない」という意味と「あなたが自分に逢いに来るのは許さない」という意味を掛けています。清少納言の深い教養と頭の良さが分かる一句です。

状況を説明しますと…。

ある夜、清少納言のもとへやって来ていた大納言・藤原行成ゆきなり)は、宮中に用があると言って早々と帰ってしまいました。いわゆる逢瀬を重ねていたのです。この藤原行成という人物は時の権力者としても有名ですが同時に相当な文化人です。平安時代の三蹟(さんせき)の1人です。三蹟というのは能書家で、筆が達筆な代表的な3人のうちの1人です。当時までは漢字が主流だったのですがこのころから仮名文字がもちいられるようになり、彼はとても美しい仮名文字を残しています。現存するものは本能寺に残されています(本能寺切)。実際に見るととても柔らかくて「書」を芸術の域に引き上げた人物はまさに行成ではないかと思うぐらいです。その意味でも彼は大納言まで上り詰めたと言うことだけでなく書家として、文化人としても大変有名だということです。

話をもとに戻します。清少納言の元に出向いて楽しく話をしていた行成は早々と帰ってしまいました。翌朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって」と言い訳の文を送りました。受け取った清少納言は「うそおっしゃい。中国の函谷関(かんこくかん)の故事のような鶏の空鳴きでしょう」と答えているのです。この「函谷関の故事というのは中国の史記にある孟嘗君もうしょうくんの話です。

孟嘗君は古代中国の秦の国に入って捕まってしまいました。そこから逃げるとき、朝一の鶏の鳴き声がするまで開かない函谷関の関所を部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせたという話です。この歴史的な史実を知らないとこの2人のやり取りは理解出来ないのです。逆に言うとそのぐらいこの2人は高い教養を持った者同士だったということです。ちなみにカンの良い方だったらお気づきだと思いますが、この函谷関の話はまさに祇園祭の函谷鉾の由来でもあります。

print
いま読まれてます

  • 平安の女流作家「清少納言」は、頭が良すぎて嫌われていた?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け