突然、襲ってきたホームシックの波
渡米したばかりのころは、とにかく慣れることに一生懸命で、心が風邪をひいている時間すらない。そうこうしているうちに4週間が経ち、サマースクールを終えるころには、生活のセットアップは終わっている。そして一段落着いたところで、恐ろしいほどのホームシックが私を襲った。
最大の難関は、なんといってもやはり「英語」。サマースクールの同じクラスに日本人の子が私しかいなくて、常に英語を話さなくてはいけない状況だった。日本語を話すとき、「考えること」と「話すこと」の間に、私はなんのギャップもなかった。どんな複雑なことを考えても、その複雑な内容をそのまま自分の言葉として表現することができた。
それが英語だと勝手が全く異なる。私の「考えること」は日本にいたときと同じ。けれども、「話すこと」は、全く前と同じようにはいかない。複雑なことを考えても、それをそのまま表現することができずに、すごく単純で稚拙な表現をしなきゃいけなかったり、そもそも、話すことをあきらめたり…そんなことばかりが続いた。
Writingはまだしも、私のSpeakingは全然聞き取ってもらえない。サマースクールでは、本当に何度も何度も聞き返された。聞き取れない時のネイティブの顔というのは、今でも悪夢に出てくる。眉根と眉根の間を寄せて”sorry?”と言う。
この“Sorry?”を二回繰り返されると、もともとさほど強靭ではない私の心はたちどころに折れてしまう。
“Sorry?”というあの表情から、ネイティブのほうがイライラ感が伝わってくる。そして、相手をイライラさせてしまっていることで、こっちはどんどん焦って、滑舌が悪くなるという、この悪循環。
アメリカ人というのは、往々にして英語を話せない人に対して、とても冷たい。アメリカナイズされた人々にとっては、英語が話せないというのは、受け付けがたいことなのである。(私の個人的な経験であるが、イギリス人の方が、英語を話せない人に対して優しい気がする。)
テーブルの上で進行している会話は、当然、すごいスピードで展開されている。99%聞き取れない会話をニコニコ笑いながら聞き流せることが、語学上達の秘訣らしい。そんなこと、私には全くできなかった。
著者/山口真由
1983年(昭和58年)札幌市出身。筑波大学附属高等学校進学を機に単身上京。2002年、東京大学教養学部文科Ⅰ類(法学部)入学。在学中3年生時に司法試験合格。4年生時には国家公務員Ⅰ種試験合格。「法学部における成績優秀者」として総長賞を受け、2006年、首席で卒業。同年4月に財務省に入省し、主税局に配属。2008年に財務省を退官し、2009年~2015年まで大手法律事務所に勤務。2015年9月~2016年7月、ハーバード大学ロースクール(法科大学院)に留学。2016年8月、ハーバード大学ロースクールを卒業し、日本での活動を再開。