一人でも生きていけるのが現代日本の素晴らしいところ
「人間は一人では生きていけない」と言われたら、多くの人は納得すると思います。
だからよけいに、「友達礼賛」という価値観がこの世を覆い、人間関係は重要だと私たちにプレッシャーをかけます。
しかし私は、現代日本ではそれは真実ではないという認識を持っています。
確かに無人島に一人で住んでいれば絶望的になるかもしれない。
かつてのムラ社会のように、村八分にされれば自分の田んぼへの水流を止められ、死活問題だった。
飢饉などで苦しいときは食べ物を融通し合うなど、近所での助け合いは重要だった。
しかし今、「ぼっち」で生きている人はたくさんいます。
コンビニに行けば食べ物は手に入るし、ネットがあるからぼっちでも寂しくなく、むしろそのほうが快適だという人も少なくありません。
私の田舎では高齢者の一人暮らしはとても多く、「あのひとは最近みかけないねえ」という噂が立つほど、普段は特に誰ともかかわらない人は珍しくない。
知人女性のご主人は株式トレーダーなのですが、超引きこもりです。
結婚して奥様がいるので完全に一人ではありませんが、どこへも行かず、誰とも会わず、1日数時間、株のトレードをして、あとはのんびり過ごしている。と奥様から聞きました。
人間は一人でも生きていけます。
一人では生きてはいけないなんて思い込みに過ぎず、人は社会的な生物だから一人では生きていけないと主張する人は、その人に自信がないだけです。
快適な生活ができるかどうかは別として、別に学校に行かなくても、携帯電話がなくたって、LINEをやってなくたって生きていけます。
これは自分自身の経験からもわかったことです。
私は就職が決まらないまま大学を卒業してフリーターをしていました。
バイトはビル掃除だから、仕事中は他人と会話する必要がありません。
どんなに性格が悪くても、仕事をきちんとやっていればバイト代はもらえます。倉庫内での軽作業、仕分け作業なども同じ。
職場の同僚や先輩たちとも、「おはようございます」「おつかれさまでした。」だけで完結し、その他の時間は誰とも会わず、誰とも話をしない日々。
帰りにコンビニ弁当を買い、一人でテレビを見ながら食べる日常の繰り返し。
そして現在の私も、仕事での付き合いはありますが、自宅近所での人間関係はほぼ皆無です。
自宅兼賃貸マンションを建てるとき、近隣からの反対があり、快く思われていないからです。(引越し時にあいさつに行った時も文句を言われました・苦笑)
そうした孤立状態を私はまったく気にしないのですが、知人の一人から、「地震など自然災害が起きたら、助け合いが必要だから、人間関係は重要だ」と言われました。
しかし私がこうした主張に納得できないのは、普段からの人間関係があるから助け合えて、なければ助け合わないという、いわゆる「部落差別」的な発想が根底にあるように感じる点です。
それはたとえば「電車の優先席なら譲るけど、普通席に座っていれば譲らなくてよい」という発想に似ています。
でも私は逆にすべての座席が優先席だと考えています。
それと同じく、普段の人間関係が良かろうと悪かろうと、災害などの非常時には誰彼関係なく支援するつもりです。
だからわが家には、普段からミネラルウォーターや保存食のストックがたくさんあり、太陽光発電設備を設置し非常時の電源として使えるようにしています。
そうやって、「どんな時でも自分から提供できるものを持っている。そして非常時には普段の人づきあいに関係なく協力する」という自信があれば、近隣の人間関係なんてどうでもよい問題です。
私の例はあまり参考にならないかもしれませんが、「一人でも大丈夫」と思えれば、必要以上に嫌われたくないとか、好かれないといけないといった発想からは解放されるのではないでしょうか。