人もお金も時間もあれば越したことがないと考えがちですが、逆に「不足しているからこその強み」を活かし成功を勝ち取った人もいます。無料メルマガ『ビジネス発想源』の著者・弘中勝さんが紹介しているのは、他社よりも圧倒的に「あらゆるもの」が不足している弱小テレビ局のプロディーサーが、その状況を逆手に取って人気番組を作り上るまでを記した、ビジネスマン必読の1冊です。
不足こそ強み
最近読んだ本の内容からの話。
1995年11月、民放キー局がしのぎを削る東京で、東京メトロポリタンテレビジョン株式会社、いわゆるTOKYO MXがひっそりと開局した。東京エリアのみが放送エリアの超ローカル局で、キー局最下位のテレビ東京でさえも雲の上の存在、独立局なので、ビデオリサーチ社の視聴率調査でもBS放送などと共に「その他」扱いの弱小地上波局である。
開局と同時に新卒1期生として入社した大川貴史氏は、ほとんど仕事のない営業部、CM運行部などを経て、28歳で制作部に配属され、ADとして1年の制作経験で、夕方の番組のプロデューサーを任されることになった。プロデューサーとは名ばかりで、あまりの低予算のため自分でロケでカメラを回したり、フロアのカンペ出しやセット運びも、お茶出しでも何でもやった。
そして2005年、新番組が始まることが決まったが、制作予算が1時間で40万円程度しかなく、出演者もスタッフも全部白紙という状態で、まさに「五里霧中」だったから、番組名だけは『5時に夢中!』に決まった。
1時間に40万円の予算がどれだけ少ないかというと、あるキー局のゴールデンタイムの番組では、ワンコーナーのセット費に3,000万円もかけることがある、というぐらいなので、それだけで『5時に夢中!』が75回、15週分も放送できるぐらいである。
それまで、MXは夕方5時からの生放送といえば1985年~1987年にフジテレビで放送された『夕やけニャンニャン』のイメージで、中高生ぐらいの若者向けの番組を放送していた。ところが、初めてマーケティング調査をしてみると、夕方5時にテレビを見ている視聴者層を調べたら、圧倒的に主婦層が多いことが判明し、今までの中高生向けの番組は完全に的外れだった。
そこで、「主婦向けならワイドショーみたいな感じ」ということで、ひとまずニュースコーナーや相談コーナーを内包した番組にすることに決定。番組スタート時は、相談メールが2通しか届かず、そのうち1通は前の番組宛のメッセージだった、というぐらいに、ひっそりとしたスタートだった。
番組としては全く成立していなかったが、コメントが卓越している作家の岩井志麻子や、当時はまだ無名だったマツコ・デラックス、ミッツ・マングローブなどのキャラクターがウケて、『5時に夢中!』は夕方のカオスな番組として現在11年半も続く人気番組へと成長していった。
「制作予算はNHKの100分の1」と言われているTOKYO MXの中でもさらに低予算で作られている『5時に夢中!』は、低予算ならではの苦肉の策から生まれた人気コーナーも数多い。
例えば、外国人のリポーターばかりで構成される「黒船特派員」という存在がある。番組開始当初は、1回5,000円ほどの低いギャラで日本人のイケメンモデルがリポーターを務めたが、そのギャラだとリポーターとしては本当にド素人で、しゃべりのつたない子しか集まらない。
つなたいしゃべりで視聴者にストレスを与えるぐらいなら、いっそのこと、日本語のつたない外国人が担当したほうが視聴者の方々も許してくれるのではないか? という消極的な理由から、外国人を起用するようになった。








