中国に屈せず。日本時代の「大和魂」で台湾を改革した許國雄の生涯

2017.01.17
2461
by yomeronpou
 

国民党に入党

1961年、39歳の時に、蒋介石の息子・蒋経国から228事件の話を聞きたい、という申し出があった。経国はこの時、台湾中を廻って人々の意見を聞いていたのである。当時はまだ戒厳令下で、罪もない台湾人が投獄されたり、銃殺されたりしていた時代である。國雄は台湾人の本当の気持ちを伝えることができれば殺されても本望だと、228事件の体験をすべて話し、最後につばを飲み込んで、ふりしぼるように言葉を発した。「今の政治は改革されねばなりません。」

次の瞬間、蒋経国は意外な言葉を口にした。「あなたの話はよく分かりました。あなたの力を借りたい。あなたも国民党に入って私と一緒に党を改革しようじゃありませんか。」

國雄はこのチャンスを逃がさなかった。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」、敵の本丸たる国民党に入党して内部から改革していこうと志したのである。後に蒋経国の後をついで国民党総統となる李登輝を始め、この時に多くの台湾人が改革の志を抱いて国民党に入党した。

大和魂の教育

國雄は高雄医学院の医学部や歯学部で教鞭をとるうちに、教育への情熱がかき立てられ、自分で学校をやってみたいと思うようになった。1963年、看護婦・助産婦を育成する育英高級護理助産職業学校を設立。この分野では台湾で最初の私立校だった。現在は育英医護管理専門学校という短大となり、生徒数2,000名の規模となっている。66年にはさらに東方工芸専科学校を創設。ここは現在、学生数8,000人を擁する東方技術学院という大学となっている。

國雄の創設した学校では、毎日朝礼を行い、国旗「青天白日旗」を掲揚する。台湾への忠誠心を養いながら、同時に大和魂の教育をめざした。台湾で最初の日本語学科も新設した。

設立した当初は高級官僚や政治家のどら息子も少なくなかった。悪いことをした生徒には、親に言いつけるのではなく、容赦なく殴る。「君は本来よい学生だけど、今のはよくない」と言って、3回殴る。1回目は国に代わって殴り、2回目は父親に代わって殴り、3回目は母親に代わって殴る。不思議なことに、殴られた学生ほど卒業してから立派になり、「昇進しました」「今度社長になりました」と國雄に報告に来る。

校舎の一部には、日本間がしつらえてあり、そこには神棚と共に教育勅語が額に入れて掛けてある。國雄は言う。

戦後の日本には教育勅語がないから、「夫婦相和」さず離婚率が高いのです。「朋友相信ジ」ないから、「いじめ」が絶えないのです。「博愛衆ニ及ボ」さないから、電車で老人に席を譲らないし、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ズ」る精神が失われたから、利己的な人間が増え国全体の名誉が蔑(ないがし)ろにされてしまうのです。

 

米占領軍がこの教育勅語を軍国主義として批判しましたが、どの文言が軍国主義にあたるのか私には理解できません。
(『台湾と日本がアジアを救う』許國雄・著/明成社)

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