中国に屈せず。日本時代の「大和魂」で台湾を改革した許國雄の生涯

2017.01.17
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by yomeronpou
 

日本との教育交流

國雄が教育会理事長、および国民大会代表に選ばれた1972年、日本は大陸の中華人民共和国と国交を結び、台湾政府と断交した。この時、東京の都立高校の教員だった草開(くさびらき)省三氏は、教育を通じて日台の交流を続けようと志を立て、何ら政治的・資金的後ろ盾もないまま、台湾に渡って関係先と折衝を始めた。そして72年の年末に日本から教師45名が派遣されて、第一回の教育研究会が台北で開催された。

國雄は一回目から参加し、締めくくりの挨拶をしたが、草開氏はそんな高い地位の人は外省人だと思って、親しく言葉を交わさなかった。翌73年、今度は高雄で第2回目の研究会が開催されることとなり、國雄は台湾側の受け入れ責任者として台北空港に迎えに行った。

國雄が草開氏を見つけて握手をし、腰につけていたお守りを指さして「伊勢神宮のお守りでしょう」と言うと、草開は急にこわばった顔をした。外省人が難癖をつけてきた、と思ったのであろう。

國雄はにっこり笑って、自分のポケットからも同じ伊勢神宮のお守りを出した草開氏はあーと満面の笑顔で手を握り返した。二人ともその年の遷宮祭に出ていて、そこで求めたお守りだった。「ご遷宮に行かないようでは、人間として生まれてきた意味がない」と國雄が言うと、草開氏は「同感だ」と応じた。以来、二人は台湾と日本で年一回交互に開かれる研究会に28回も参加して一緒に皆勤賞を貰う事になる。

この研究会から生まれたのが「台湾と日本・交流秘話」である。1992年に台中市で開かれた第19回研究会で前高千穂商科大学教授・名越二荒之助が、台湾に残る日本ゆかりの文化遺産をスライド上映を交えながら紹介。これがきっかけとなって、監修・許國雄、編者・名越・草開で出版にこぎつけた。この本は大きな反響を呼び、日本人相手のガイドや旅行会社の必読本となり、日本語コースを設けているいくつかの大学で副読本として採用された。

また日本語教育の重要性を国会で訴え、これがもとになって現在、約30の商業高校で日本語学科が設立されている。

許國雄の「大和魂」

1988年1月、蒋経国・国民党総統が突然、逝去し、副総統だった李登輝氏が党内選挙に勝って、初の台湾人総統となった。李登輝氏は京都大学出身で自ら22歳まで日本人だったと言う人物である。國雄は同じ元日本人として応援した。

1996年、台湾で最初の総統選挙が行われる事となり、「台湾は中国とは別の独立国家だ」と主張する李登輝氏の再選を阻もうと、中国共産党政府は台湾近海にミサイルを試射して威嚇した。しかし、これは逆効果だった。李登輝氏は約1,000万の有権者のうち、600万票も獲得して圧勝したのである。

今の台湾を支えているのは、日本の教育を受けた人たちです。日本の年配者と同じく若い頃に大東亜戦争を体験し、防空壕を掘ったりして鍛えられた人が今の台湾のリーダーになっています。…

 

あれほどの中共のミサイル威嚇にも、誰一人として逃げようとはしませんでした。全く落ち着いています。逃げないのみならず、中立の浮動票はみんな李登輝氏の方に流れてしまいました。ミサイルが一発でも命中すれば、多くの台湾人が死にます。恐ろしくないわけがありません。しかし、台湾人は「忍」の心で、徳川家康のように黙って独立の機会を待つ李登輝氏に投票しました。
(同)

「虎穴」に入って国民党を中から改革しようという使命感、国家と両親に代わって生徒を殴る公共心、危険を省みずに「瑞竹」を移植したように信ずるものを守らんとする気概、そしてじっと独立の機会を待つ忍耐…、これら総てを含めて許國雄は「大和魂」と呼んでいる。そしてその大和魂を許國雄は日本教育から学んだというのである。

「大和魂」を軍国主義時代のスローガンと決めつけるのは勝手だが、それとともに我々現代日本人はこうした使命感、公共心、気概、忍耐をも捨ててしまったのではないだろうか。

文責:伊勢雅臣

image by: Shutterstock

 

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣
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