日本の「東大神話」はもう時代遅れ。武田教授が指摘する受験の弊害

 

未だ学歴偏重主義が幅を利かせ、過酷な受験勉強を課され続けている日本の子供たち。このような社会システムについて、中部大学教授の武田邦彦先生は自身のメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』内で「時代遅れ」とバッサリ切り捨てます。さらに武田先生は、旧態依然の日本の教育制度を牛耳る文科省の役人たちを批判するとともに、「加計学園疑惑」が思わぬ効用をもたらすという独自の論も展開しています。

先進国なのに時代遅れ!? 「人と人を比較するための試験」は必要ない

日本では当たり前の「大学受験」、先進国ではそれほど当たり前ではありません。特に先進国では、「大学に入るための資格試験」というのは一般的ですが、「どの大学に入るか?という試験は廃れつつあります

たとえば、ヨーロッパでは「どこの大学生ではなく単に大学生」なので、冬はスキーをするために北の方のスキー場に近い大学で勉強し、夏は水泳を楽しみたいので南の大学で学ぶという国もありますし、もともと人口密度が低く、大学を出たら森の中に入るのであまり人と会うこともないので、「人と比べる必要がない」という社会で人生を送るフィンランドなどは、大学受験ばかりではなく普段の勉強から「試験というものがあまりありません

日本は「クラスで何番」というように「人と比べられる」のが普通ですが、フィンランドは「勉強したことをどのぐらい覚えたり使えるのか」という自分のための試験が目的です。

国が発展途上で、しかも外国の脅威にさらされている時には、国民が一致団結して勉強し、力をつけ、少しでも優秀な人を優遇しないと外国に侵略されたり、産業がつぶれたりします。日本も江戸時代の末期に強制的にアメリカやヨーロッパから鎖国をとかれ、その後は日露戦争、第一次世界大戦まで「独立を保つために必死に教育をする」という状態でした。

だから、大学受験、東大第一というシステムができあがったのですが、実はそんな時代はとうの昔に終わっています。たとえば、数学が得意な子供は200人に1人しかいませんが、それでも日本全体では64万人もいます。マラソンにたとえれば分かりやすいかも知れませんが、マラソンは日本のお家芸といっても、オリンピックでメダルをとるために国民全部がマラソンをする必要は無く、マラソンが好きで才能がある人がやれば良いのです。

日本が科学技術で発展するには、日本の技術者は約200万人ぐらい必要ですが、そのうち、数学が専門の人は64万人も必要ありません。技術者として必要な数学は基礎的なものだけです。それにしては現在の大学受験ででる数学の問題は「人を比較するために工夫された不必要にレベルの高い受験問題と言えます。

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