日本の「東大神話」はもう時代遅れ。武田教授が指摘する受験の弊害

 

加計学園問題で浮き彫りになった、教育現場に疎い文科省の役人たち

最近、英語教育が盛んですが、これも日本人の全部が英語ぺらぺらの必要は無く、よく外国に行くビジネスマンや通訳の方は必要ですが、まず日本人の10人に9人は人生でちょっとした外国旅行に一生に一度ぐらい行く時に必要なのが関の山です。

ちょっと前まで「グローバリゼーション」という言葉が未来のあるように言われて英語教育重視の方向が決まったのですが、アメリカでトランプ大統領が当選し、イギリスがEUを離脱しただけで、大きく方向がかわり「自分の国を大切にする時代」といわれています。こんなことで長い勉強や教育の舵を切られるのはたまりません

それに2030年頃にはAI(人工知能)によってスマホなどを持っていれば、完全自動通訳が可能になると言われていて、もともと外国語教育そのものがいらなくなる可能性もあります。

実は、こんなへんてこなことは初めてではありません。

1990年代には「ゆとりの教育」が唱えられて、政界、学会、教育界、産業界、メディアなどが一致して「ゆとりの教育」を支持したのですが、実施して数年し「予定通り、単なる学力が落ちた」という結果がでると、たちまち「ゆとり教育の批判」が吹き出し、すぐ元に戻りました。その数年の間、中学校から大学で勉強した子供達は「ゆとり世代と言われて、いわれなき差別を受けています

とんでもない教育思想ですね。

そして2017年には大学の獣医学科を作るという加計学園が問題になりましたが、もともと文科省という役所が大学の設置を認可するというのは、おそろしく時代遅れの制度で、先進国でこんな古くさい制度をもっている国はほとんどありません

大学生の時に公務員試験を受けて文科省に配属になり、それ以後、一回も教育をした経験のない文科省の官僚が「日本にとってどんな大学が必要か、大学教育をどうするか」が分かるはずはありません。それに対して大学を開校する人たちは、お金のリスクもありますし、教授もかなり参加しなければなりません。その人たちが自分のリスクと人生をかけて新しい大学を設置しようとしているのに、それに難癖をつけるのが、力も経験もない文科省役人なのです。

そうすると、不都合なことが多く発生するので、大学は文科省の役人を天下りで受け入れなければならず、政治家が暗躍することになります

つまり「無理が通れば道理引っ込む」の類いです。

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