日産だけ叩くのはおかしい。「無資格検査」の裏に隠された利権問題

 

1つ目は、現在の自動車製造というのは高度な自動化がされているわけです。全てのモジュールにはバーコードが振られ、生産計画はコンピュータ化されています。誤った部品が取り付けられたとか、取り付けのネジが緩いとか締め過ぎと言ったエラーは全てセンサーやカメラなどで高精度なチェックがされます。これに、熟練工やよくできたマニュアルに基づいたヒューマンな目が要所要所で入る仕組みです。クルマづくりに関して、先の工程ではそうした「高精度な作り方」をして高精度な検査をしているのに、最後の工程として38年以上も前からやっている「ローテクな検査を行うというのは、これはもう完全な儀式という意味合いしかないわけです。

2つ目は、自動車そのものが変わっているわけです。例えばHVEVの場合は、少なくとも「上から水をかけて水漏れしないか?」などというバカバカしい検査よりも、漏電の危険性の検査を徹底すべきです。勿論、社内的にはやっているのでしょうが、制度としてそうした変化への対応をしていないのであれば、形骸化という批判を浴びても仕方がないでしょう。

3つ目は、検査員の資格制度についてです。そのように簡単で儀式的な検査であるのであれば、内燃機関の部品名など詳細な記憶力テストに合格した人材などは不要です。何故ならば、検査が単純であるだけでなく、万が一問題が出た際に、「大昔の知識を問う資格試験にパスした」検査員では、改良改善の提案といった議論には参加できないからであり、反対に、改良や改善を日常業務にしている技術者に「大昔に作られた膨大な記憶を問う資格試験」にパスさせるということは不可能だからです。何故ならば、そんなテクニカルな権限の高い職能については、国際共同生産体制の中で英語が標準語になりつつあるからです。

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