ここからは今回の“一件”について、とても残念に思っていることを書きます。
報道を見ていて、以前、日本に暮す外国人の方が「日本には目に見えない鎖国がある」と言っていたことを思い出しました。
みなさん、忘れているんじゃないでしょうか?
日馬富士も、白鵬も、貴ノ岩も、そして元旭鷲山も、モンゴル人だってことを。
日本とは文化も違えば言葉も違う、モンゴルという国で生まれ育った方たちです。
どんなに日本語を流暢に話せても、彼らの母国語はモンゴル語。
日本語は母国語ではないのです。
「母国語じゃない」という事実は、想像以上に大きい。
とりわけ世界的にも難しいとされる日本語は、ちょっとしたニュアンスで「言いたいこと」の齟齬が出ます。
その「違い」を「言ってることが違う」だの「ケシカラン!」だのと批判してる。
千秋楽の白鵬関に対するバッシングがまさしくソレでした。
確かに土俵という場所では、極めて異例な“言動”だったかもしれません。
白鵬は優勝した感想より先に、“事件”の謝罪と「日馬富士と貴ノ岩を土俵に再び上げたい」と親方たちがいる前で、観客に気持ちを吐露しました。
そして、最後は万歳三唱です。
今までにはない勝者のパフォーマンスは、品格を重んじる相撲界には異例中の異例だったのかもしれません。
でも、それは親方たちや理事の人たちがそっと楽屋で「あれは日本では勘違いされる」と窘め、日本の文化を教えてあげれば、それでジ・エンドです。
なのに翌朝からテレビやラジオ、新聞や雑誌では「白鵬はいつからあんなに偉そうになったんだ」とか、「横綱として許し難い言動」とか、あれやこれやのバッシング。
「理事長をさしおいてあれはない」「万歳三唱はありえない」と糾弾しました。
でもね、あのときの観客の方たちの表情をみましたか?
みんなうれしそうに万歳してる。
「横綱、がんばったな!前人未到の40回の優勝おめでとう”」ーーー。
観客の方たちは心から「バンザ~イ!」と声を上げて、手を挙げて無事に九州場所が終わったことを喜びたかったんじゃないでしょうか?
場外は「負」の感情だらけですが、場内は「安堵」と「喜び」の感情に溢れていた。
だから自然と万歳三唱した。それでいいじゃないですか。
「膿をだしきる」という言葉も批判されましたが、彼らの母国語は日本語ではないんです。