絶好調の台湾・圓山大飯店の再生劇の影に見える、中国の自業自得

 

ここで、少し歴史をおさらいしましょう。圓山大飯店のある場所は、かつての日本統治時代に台湾で最も重要な神社とされた台湾神宮」がありました。皇族でありながら陸軍軍人であった北白川宮能久親王などが祀られ、後に昭和天皇となった当時の皇太子も参拝したことがありました。

しかし、終戦直前の1944年に旅客機が墜落し、社殿などが焼失したところで終戦となり、戦後は台湾大飯店という名前のホテルが建てられました。その後、1952年に圓山大飯店と改名され、時の権力者であった蒋介石の妻である宋美齢がオーナーとなったのです。

宋美齢は、このホテルに贅の限りを尽くし、英語が堪能だった彼女は、このホテルを舞台に華麗な外交を繰り広げました。彼女が健在だった頃の全盛期にはアメリカのアイゼンハワー大統領も滞在したことがありました。

圓山大飯店の地下には二本の長い地下通路があることも有名です。これは、万が一の有事に備えて蒋介石と宋美齢が脱出するために造られたとの説もあります。また、宋美齢がアメリカへ渡った後も、彼女の隠し財産はすべてこのホテルのどこかに保管されているとの噂もありました。今でも地下通路はあり、ホテル内見学ツアーの料金を払えば見られるようです。

かつては、中華民国のプライドをかけて日本語や英語などの外国語によるサービスは全く行わなかったのですが、それでも台湾内外の富裕層が競って足を運んでいたものです。しかし、その名声も時代の変化とともに薄れると同時に、ホテルも老朽化が進みました。

また、台北市内に新しいホテルが次々と建設されたこともあり、旅行客はキレイで新しいホテルを選ぶようになり、圓山ホテルは時代の遺物として取り残されたような感さえありました。

オーナーが変ったことにより、ホテルの内部改修が進められ、前述したように工事中に火事を起こしたりもしましたが、客室、レストラン、最上階の大広間など、館内の設備を順次新しくしたことで旅行客が徐々に戻りはじめました。さらに、ここ数年、日台間における相互訪問ブームの波に乗って、圓山大飯店は再び話題となり、修学旅行の高校生が利用するまでとなったのです。

確かに、中国色を全面に押し出した建築物である上に、収容人数も多い圓山大飯店は、修学旅行の高校生にはもってこいかもしれません。館内のレストランの前には、台湾神宮から持ってきたという龍の置物もあり、「百年の金龍」と名付けられています。派手に金ピカに塗られた龍に、百年の重みはあまり感じられませんが……。

圓山大飯店 建築の美

とにかく、そういうわけで、日本人旅行者に今や大人気の圓山大飯店。宋美齢時代とはまた違った、新たな役割を担って、台北のランドマークとしてまだしばらく存在感を示してくれるようです。

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