「一燈を提げて暗夜を行く、暗夜を憂うることなかれ、ただ一燈を頼め」かの西郷隆盛は、最も不遇な時期にこんな言葉を残しています。無料メルマガ『がんばれ建設~建設業専門の業績アップの秘策』の著者・降籏達生さんは、どうしても気力が衰えてやる気が失せる状況でも、未来の自分に必要な期間だと思えば今やるべきことが見えてくる、という人生訓を解説しています。
今の行いは、未来の自分が必要としていること
先日博多の歴女と呼ばれる白駒 妃登美さんのお話しを聴く機会がありました。
現在は過去の積み重ねの結果であるとはよく言われていることです。二宮尊徳さんは次のようなことをおっしゃっています。
父母の富貴は祖先の勤功に在り
我身の富貴は父母の積善に在り
子孫の富貴は自己の勤労に在り
つまり「今うまくいっているとすれば、過去の善行のおかげ、今、自分が善行を積むのは子孫のため」ということでしょう。
白駒さんは「今の行いは、過去の結果だけでなく、未来の自分が必要としているのである」とおっしゃっていました。
最近テレビドラマで取り上げられている西郷隆盛さん。西郷は、島津斉彬(しまづなりあきら)藩主に才を見出され、藩内で活躍していたのですが、斉彬は突然急死。次の藩主は、久光(ひさみつ)でしたが、西郷とは全く馬が合わず、やがて久光の逆鱗に触れた西郷は、薩摩藩の属領であった沖永良部島へと、犯罪人として流刑に処されます。
西郷が『言志四録』を読んだのは、沖永良部島の獄中でした。西郷にとっての『言志四録』とは何だったのでしょうか。
一燈を提げて暗夜を行く。
暗夜を憂うることなかれ。
ただ一燈を頼め
これは『言志四録』の一節です。人生行路のうちには、暗い夜道を行くようなことがあるが、暗夜を心配することなく、ただただ自分の強い意思を頼りにするがよい、という意味です。
後に起こった、鳥羽伏見の戦いにおいて幕府軍の砲声を聞いて戦況に不安を覚えた岩倉具視に、西郷が「ご心配には及びません、西郷がおりますから」と答えたことが記されています。
大政奉還によって倒幕が成就したものの、政治的には「暗夜」状態にあり、新政府樹立への強い思いを「一燈」として、西郷が戊辰戦争を突き進んでいった、と読み解けそうです。
つまり、西郷にとって沖永良部島での1年7ヶ月は未来の明治維新にむけての準備期間だったのでしょう。
不遇な目に遭うとどうしても気力が衰えやる気が失せるものです。しかし、未来の自分に必要な期間だと思えば今やるべきことが見えてくるものです。
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