オウム真理教が、ソ連崩壊直後にロシア人信者を増やしていた理由

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7月6日、オウム真理教教祖と教団元幹部7人の死刑が執行されましたが、かつて彼らとロシアの深い関わりが様々な角度から報道されました。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、政情不安のソ連崩壊時にオウム真理教と関わりを持ったと思しき知人と、同教団のロシアでの「その後」に関する貴重なエピソードを記しています。

オウム真理教とモスクワ

皆さんご存知のように、オウム真理教の教祖麻原彰晃本名・松本智津夫と幹部6人の死刑が執行されました。このニュースを聞いて、皆さんはどんなことを思われたでしょうか? 私は昔のことを思いだしました。

私がモスクワに留学したのは1990年です。当時私は19歳でした。すぐできたロシア人の友達は、3人でした。いずれも日本語が話せる人たちだった。まあ、「友達」というか、「世話役」ですね。私は全然ロシア語が話せないので、彼らはいろいろ助けてくれたのです。

二人はモスクワ国際関係大学の学生さん。もう一人は、同大学で日本語を教える先生でした。といっても、彼は当時22歳。その人、仮にDさんと呼びましょう。Dさんは身長が190センチぐらいあり、金髪でイケメンでした。ロッキー4時代のドルフ・ラングレンみたいな体型で、顔だけもっとマイルドな感じ。それにしても22歳でソ連外務省付属モスクワ国際関係大学の先生とは…。どうもお父さんは共産党の大幹部だったようです。

1990年代はじめソ連経済はボロボロになっていた。お店にいくと、パンを買うのに2時間並ばなければならない。野菜も、じゃがいも、ニンジン、キャベツ、玉ねぎぐらいしかない。それも、普通の店ではメッタに買えないのです。大学が、「はじめての日本人留学生を飢えさせるな」ということで、学生食堂から流ししてくれていました。

そんな中、Dさんは時々、寮にチーズを持ってきてくれました。チーズは当時、共産党幹部専用の特別店でしか手に入らない超高級品だったようです。ちなみに1991年7月から8月にかけて、私はアゾフ海でバカンスを楽しみました。これをオーガナイズしてくれたのもDさんでした。

8月19日にクーデターが起こった。私は、即モスクワに戻り、その光景を目撃することになります。

暗転

1991年12月ソ連が崩壊しました。これは、世界にとっても、ロシア人にとっても、まさに歴史的大事件。ロシア国民にとっては、「アイデンティティークライシス」が深刻でした。なんといっても、70年間信じていた共産主義教はウソでした!」となったのですから。ロシア人は、突如「何を信じたらいいかわからない」状態になったのです。

その心の穴を埋めるべく西側から宗教が進出してきました。その中の一つがオウム真理教だったのです。Dさんは、おそらくお父さんが失脚したのでしょう。悩むことが多くなりました。Dさんは、軍人でもありました。ある日いいました。

「軍隊に入った日、僕はソ連に忠誠を誓った。今、上官はいう。『今度は、ロシアに忠誠を誓え!』と。しかし、そんなにコロコロ忠誠の対象を変えることはできないよ!」

マジメな人だったのですね。共産党幹部の多くは、「僕は昔から民主主義者だった」といい、変節していたのです。しかし、Dさんにはそれができなかった。

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