毎回ゲストのエピソードが面白いTBS系「A-Studio」ですが、この番組が成り立つのも、笑福亭鶴瓶さんのゲストの素顔を引き出す「聞く力」があってこそです。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者の松尾英明さんが、聞く力の大切さを力説すると同時に、その力が作用する前提「わかろうとする気持ち」について解説しています。
話す 聞く は目的がある
先日、県内の小学校にて、「聞く」をテーマに校内研の講師をさせていただいた。昨年度に引き続きお世話になっている学校である。校内全ての教室の授業を見せてもらい、研修会の冒頭で話したことが「黙る」ということの大切さである。
この学校では、清掃の時間に黙働をしてきた実績があり、黙って掃除ができていた。聞く力の素地ができているということである。
聞く力というが、実は先に黙ってないと聞けない。「黙る力」が前提にある。これは、自己コントロール能力であり、我慢、辛抱である。
話す力というが、実はおしゃべりとは性質が全く違う。だから、おしゃべりを推奨しても、学習指導要領が目指すような話す力と聞く力はつかない(代わりに、気晴らしにはなる)。
一般的におしゃべりが得意な類は、言わずもがな中高生の女子である。3人集まれば、言葉の機関銃乱射状態である。とりあえずの相槌は必要だが、聞く必要はあまりなく、ひたすら好きなことをしゃべりまくれる。だから楽しい。
おしゃべりは、無目的。語弊がありそうなので付け加えると、方向性や達成目標がないのである。しゃべることそのものが目的であるともいえる。だから、ここには教育は不要である。
話さねばならない場面というのは、目的がある。プレゼンを成功させて契約を結ぶ。問いに対しての自分の解を伝える。やる気を出してもらうためにスピーチする。目的がある。目的達成に向けて、意図をもって工夫して話せるのが、話す力である。
聞く場面にも、目的がある。多くの場合があるが、聞くことの目的を一言で集約すると、わかりたいである(だから、自分のことをひたすらしゃべりたいだけのおしゃべり会では、聞く必要がない)。
わかりたくないと、聞けない。聞く力は、わかろうとしないと、作用しない。だから、能力自体があっても、対象に興味がないと、聞けない。極論、聞きたくなるような話を毎回すれば、必然的に聞くようになる。
「聞く」をテーマに見させてもらうことで、自分自身の考えも深まった。何事においても、とりあえずテーマを定めることが、力をつける近道になりそうである。
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