「浦島太郎」は、日本書紀の「浦嶋子伝記」の二次創作物だった?

 

日本書紀の「原作」が室町、明治と変遷

浦島子が、浦島太郎という名前になったのは室町時代ぐらいに完成した「御伽草子」の中での事です。古くからの御伽噺を、まとめてわかりやすくしたもので、この時に、名前や、物語の内容も少しその時代に合うように変えられています。この御伽草子の中には、ものぐさ太郎、福富太郎などがあり、太郎という名前が一般的であり、流行していたのだと思われます。この時に「太郎」の名前がつけられたのです。確かに、シンプルですが浦島太郎は、浦島子が名前であり、もし、名字として分けるというなら、瑞江が正しい分け方なのです。

伊根町にある宇良神社が示すように、今の呼称である「浦ちゃん」というのは非常に的を射た呼び方であり、愛称だと思います。伊根町では、現実に浦ちゃんと呼ばれていた可能性はあります。

さて、このオリジナルの浦島子の話は、私達の知っている浦島太郎の話と少し違います。私達の知っている浦島太郎は「助けた亀に連れられ竜宮城に」行きますが、オリジナルの方は、自分で釣った亀が女性になり、好きになって結婚して一緒に蓬莱山に出かけます。

助けた亀は、恩返しの話ですから、鶴の恩返しと同じです。にもかかわらず、亀を助けたばっかりに、おじいさんになってしまっては可哀想じゃないかという声も聞こえてきそうです。いやいやとんでもない、亀を助けたから竜宮城で300年間もドンチャン騒ぎをしていたから十分でしょう、という意見もあるかもしれません。

一方の原作では、自分で釣った亀を奥さんにして、仙人の住む不老不死の山蓬莱山に行くのです。狩猟民族的な考え方であり、偶然はあるにせよ、自分の力によって当時理想とされた不老不死を獲得するというのは大人のお話だということがわかります。

そんな大人の童話が、どうして子ども向けの物語に変化したのかというと、それは巌谷小波(いわやさざなみ)という明治の児童文学者の仕業なのです。彼が変えてしまった浦島太郎は、日本の伝承物語として尊ばれ、教科書に掲載されるようになりました。昭和二十年頃まで「浦島太郎」の話は、小学校二年生の教科書に載せられていました。その上、唱歌として学校で歌われたのです。このため、日本中の人が必ず知っているお話となったのです。

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