【書評】京大名誉教授が描く、死より怖い「死に至るプロセス」

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「日本は今後、超高齢化社会になり、老人たちは『生きる粗大ゴミ』として放置される」。なんともショッキングな内容が綴られた書籍が話題です。京大名誉教授が著したそんな1冊を、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんが紹介しています。

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死と生
佐伯啓思・著 新潮社

佐伯啓思『死と生』を読んだ。著者は京大名誉教授、京大こころの未来研究センター特任教授。この本は「死の意識」という舞台に乗せて、「死」と「生」を論じたものである。その論の特徴は、「の方に力点をおいてそちらからを見ている。こういうスタイルの考えに出会ったのは初めてである。

いま我々は、高度な情報・産業社会にあって、殆ど生と死の問題に関心を持てなくなっている。思考の上に乗せる糸口を失っている。もはや、共通了解としての死生観などなくなってしまった。そんな時代には、我々はみな、自分の死生観を自己流に探し出すしかない。本書は著者なりの死生観の試みである。

日本はいま世界に冠たる老人社会、超高齢化社会になろうとしている。今日65歳以上の高齢者人口は既に3,000万人を超えているが、2025年には約3,700万人になり、うち約350万人が認知症になり、高齢者の一人暮らし世帯は680万人(約37%)になると推計されている。これが「2025年問題」といわれるものだ。

介護に携わる人は40万人不足、それに応じて「生きた粗大ゴミ」となった老人が介護を受けられず、文字通り「放置」される。これが超高齢化社会の現実で、我々はこの問題に間もなく直面する。老人を支えていた家族も地域も崩壊状況にある。もはや福祉や介護といった、社会制度で解決できる問題ではない。イノベーションの加速、ロボットやAIの導入などでなんとかな……らないだろう

となると、我々は剥き出しの老いや死に直面せざるを得ない。我々が気にしているのは死そのものではない。死のほんの少し前死にゆく最後の生のあり方である。「死」ではなく「死に方」である。「死」は経験できないが、「死に方」は否応なく経験させられてしまう。逃れることができない恐怖である。

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