夕焼けでした。
真っ赤に染まる夕暮れの空を背景に、オペラハウスとハーバーブリッジが美しいシルエットを染め抜いていました。その夕日を眺めながら、帰宅中のサラリーマンがデッキでのんびりと缶ビールを飲んでいるのです。船腹を叩く波の気だるい音が今でも耳に残っています。
やがて日本のバブルは崩壊。ゆっくりと滑り落ちていきます。まだ誰も、まさかその後何十年も立ち直れないとは夢にも思っていませんでした。
今や、オーストラリアの一人当たりGDPは日本よりも2万ドル以上も高く、街中はピカピカの高級車が走り回っています。それはともかく、和田憲治さんやKazuya君がシドニーに取材と称して行くたびに「なんかオージー楽しそうだよね」と言います。
一方、私がほぼ23年ぶりに帰国して気が付いたのは、若者の元気のなさです。若者といっても30代前半でしたが。彼らから感じるのは「諦観」でした。つまり、なんとなく諦めた感じ。ブラックな職場環境で、ひたすら耐えてもくもくと働き、病気になっては休んでいる。目に光がない。などなど。
とても留学する覇気なんてなさそうです。「どうしちゃったんだ?」と思いました。しばらくしてわかりました。いわゆるロスジェネなんですね。バブル崩壊後の就職氷河期で正規採用の機会もなく、ずるずると漂流するように歯を食いしばって生きている世代。まさに隔世の感です。
そこで思うのです。
確かに、運悪く不景気にぶつかってしまう世代もあるでしょう。でも、新卒で正社員になれなかったら、その後ずっとハンデになって挽回できないっておかしくないですか?それって、いまだに「就職という名の就社」の発想でやっているってことですよね?企業はまっさらな白いキャンバスのような新卒を採りたいという。終身雇用を保証できないのに、それって完全に時代遅れのシステムじゃありませんか?
日本も本来の「就職」に発想を改めるべきでしょう。
つまり、「ここにこのようなポジションがあります。必要な経験とスキルはこれこれです。報酬はこれぐらい」と言って人を募集する。年齢も性別ももちろん関係ありません。必要なのはその仕事をこなすのに必要なスキルと経験だけ。もちろん、学歴や経歴が良ければそれに越したことはないけど。
この、オーストラリアで一般的なシステムだと、むしろ新卒の方が不利になります。経験がないのですから。