西本願寺と言えば東本願寺と並び修学旅行の定番コースですが、建造物の歴史的価値や由来までご存じの方は少ないのではないでしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英 学(はなぶさ がく)さんが、世界遺産にも登録されている西本願寺の歴史と見どころを詳しく紹介しています。
世界遺産・西本願寺の豪壮で華麗な建築物
今回は世界遺産に登録されている西本願寺の建造物を詳しくご紹介します。
西本願寺は「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録されています。浄土真宗本願寺派の総本山です。境内には桃山時代以降に建てられた名建築がずらりと立ち並んでいます。京都駅から徒歩圏内ということもあり、京都観光の必見スポットです。
本願寺が現在の地に移ってきたのは1591年です。当時は織田信長と講和する道を選んだ融和派と、対立する抗戦派との対立が深刻化していました。抗戦派は徳川家康に支持され1602年に寺地の寄進を得ることが出来ました。彼らはやがて東本願寺を本山とする本願寺大谷派として自立する道を選びました。以降、本願寺は西本願寺と東本願寺とに分立することになりました。
この背景には信長さえも手を焼いた本願寺の勢力を抑える狙いがあったようです。戦国時代以降、強大な権威と権力を誇った本願寺は戦国大名たちとも対等にわたりあっていました。徳川幕府はその強大な力を持つ教団を分断しておきたいという政治的な意図があったわけです。
しかし、それでも尚、西本願寺の力は強大であり続けました。その力の象徴は正面中央に並び立つ御影堂と阿弥陀堂を見ても明らかですよね。御影堂は1636年に建てられたもので、東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートルの大建造物です。阿弥陀堂は東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートルとこちらも巨大な建築物です。前に立つとその大きさにいつも圧倒されます。
御影堂は内陣と外陣にわかれています。外陣の広さは441畳もあり、一度に1,000人以上を収容することができるという圧倒的な広さです。
境内の南側には国宝の唐門があります。檜皮葺の四脚門で豊臣秀吉によって造られた聚楽第や伏見城の遺構ともいわれています。唐門の細部にほどこされた意匠は繊細でとても素晴らしいのでじっくり見てみて下さい。唐獅子や龍、麒麟といった動物、牡丹や松、竹といった植物のほか、中国の故事なども彫られています。その素晴らしさに時が経つのを忘れてしまうことから、「日暮門」とも呼ばれています。
境内には他に特別公開される飛雲閣や書院などの国宝建築も点在しています。豪壮で華麗な建造物は他では滅多に見ることは出来ません。京都を訪れたときには是非足を運んでみて下さい。
そして、西本願寺を訪れたら堀川通りの向かい側にも足を運んでみて下さい。総門をくぐって少し進むと、右手に大きなドームがかたどられたレンガ作りの建造物が見えてきます。明治45年、東京帝国大学教授で建築家の伊東忠太によって設計された伝道院です。
もとは信徒向けの保険会社として建設されたものでした。その後は銀行や事務所として使用され、現在は研究所になっています。外観は古典様式ですが、各所にイスラムの建築様式や日本の古典様式がとり入れられています。仏教系の西本願寺には異色の近代建築なところが異彩を放っています。
image by: 京都フリー写真素材