日本美術会をリードし続ける画家が、心の中に「置いて」いるもの

chichi20190701
 

芸術家として生きていくというのは大変なことで、才能があるにもかかわらず、将来に不安を覚えその道をあきらめるという人も多いのではないでしょうか。東京芸術大学の名誉教授で洋画家の絹谷幸二さんも、若いころには葛藤した一人。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そんな絹谷さんと筑波大学名誉教授の村上和雄さんの対談を通して、強い気持ちを持つことの大切さを紹介しています。

安定の道を捨てた先に掴んだもの

力強い色彩をもって圧倒的な迫力で迫ってくる作品群で多くのファンを魅了する画家・絹谷幸二さん。画家として40年以上にわたって日本の美術界をリードしてこられましたが、若い頃は画家の道に進むべきかで煩悶の日々を繰り返したといいます。

絹谷さんは、どんな決意をもって画家の道に身を投ぜられたのでしょうか?

生命のメッセージ 絹谷幸二(画家)×村上和雄(筑波大学名誉教授)

絹谷 「画家として順風満帆だったかというと、必ずしもそうでもなくて、自分は画家としてやっていけるだろうかという悩みは常にありましたね。

例えばイタリア留学中のことですが、文化庁からの依頼で高松塚古墳の壁画保存対策委員に就任することが決まり、ローマ国立中央修復研究所で技術を学ぶことになりました。実際に修復技術を学んでみると、まるで探偵小説を読むかのようで、科学的な世界が広がっていて非常に面白いんです。

ところが修復の世界と新しいものを創造する画家の世界っていうのは相反するんですよ。しかし、絵の世界は描いても描いてもなかなか売れない。非常に不安定です。一方、修復の仕事は食っていける

村上 「そこで迷われたわけだ」

絹谷 「ええ。クリエイティブな世界に行くんだという意志は、そこで揺らぎましたね(笑)。他にもイタリアの陶器を日本に持ち込めば、当時は小さいものでもよく売れたんですよ。だからそれを商売にすれば生活が成り立つ。とにかくそういう落とし穴はいっぱいありました)。でもそれにはまらないようにするには、貧乏するしかありません。日本にいる時も、絵描きなんかやっていたら食べていけないよ、生活に困るよ、とどれだけ言われたことか」

村上 「それでも絹谷先生は自分の意志を曲げなかった

絹谷 「それはね、いまは強いけど昔の弱い阪神タイガースが好きだったとか、どこか偏屈なところがあったからでしょうね(笑)。ただ、それだけではなくて、当時はまだ若かったでしょう。命に対する不安っていうものがまだないから、どうなろうと生きていけるという自信はあったんですよ。

時にはあまりに絵に熱中し過ぎて、心臓がね、ガーンと痛くなるようなこともありましたけど、常に心の中に無常観というものがあってそれをバネにして画家として一道を歩んできたというのはありますね」

村上 「そういった葛藤の中で、画家として見事に大成されたわけですね」

絹谷 「いやいや、無鉄砲なところはずっと変わらなくて、最近では積水ハウスさんに協力していただいて、大阪の梅田スカイビルに常設美術館をつくりましてね。『絹谷幸二 天空美術館』という名称なのですが、その一角には私の絵が3Dの大画面で展示されているんですよ。こうした取り組みは初めてのようですが、やはり芸術家というのは進取の気性を発揮して、時代の切っ先に身を置いて行かなきゃいけないと思うんです。もちろん、これまで継承されてきたものを大切にするのも大事ですが、その反対のことも同時に行う。穏やかに穏やかにという中に不動明王の如く強い気持ちで前進していかなければいけません」

■『致知のキーワード

  • 無常観をバネにして画家として一道を歩んできた
  • 穏やかに穏やかにという中に、不動明王の如く強い気持ちで前進

image by: Koji Kinutani 絹谷幸二 - Home | Facebook

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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