東京五輪は大丈夫か。千葉大停電で被災者たちが率直に感じた不安

 

国も県も動いたのは3日後

安倍政権とそれに追従するマスコミは、10日から12日にかけてはもっぱら党・内閣の人事改造に関心を注ぎ、「進次郎入閣サプライズ」などと浮かれていた。その頃我々被災者は、電気も水もない、電話もネットも通じない中で、東電の11日中には完全復旧をめざすという当初発表にすがりつく思いで生きる道を探っていた。11日中というのは嘘で、12日にも13日にも我が家の辺りでは何も回復せず、すでに復旧したと聞いた鴨川市中心部の亀田病院やその並びの鴨川温泉ホテル街に行ってカフェでの食事や市民に無料開放された温泉入浴にようやくありついた。

我が鴨川市長と市役所がどうしているのかはさっぱり伝わってこなかったが、千葉市の熊谷俊人市長はすぐに災害対策本部を立ち上げ、避難所や区役所などによる支援体制や、公共施設の浴場の無料開放などを分かりやすく市民に伝えると共に、県が現場に足を運んで実情を把握しようとしていないこと東電がいい加減な楽観的復旧見通しを発表して被災者を惑わせていることを厳しく指摘した。

千葉県が災害救助法を県内41市町村に適用して、避難所の設置や食料などの配布の経費を国と県が負担することにしたのは12日で、しかもその際の認識は「12日午後4時現在の避難者は845人で前日より65人減」というものだった。そうじゃないんですよ、電気も水も来ず電話も通じず、場合によっては屋根瓦も飛んでブルーシートをかけてでも自宅で頑張っている自宅避難民が我が家を含めて何十万世帯もいるんですね。

そういうことが少しは分かったのかどうか、安倍晋三首相がこの対策に全力を挙げるよう指示し、経済産業省が「停電被害対策本部」を立ち上げたのは13日になってからだった。

東京電力の責任は重大

停電の深刻さと復旧の遅れについては東京電力による人災の側面が大きい。日本経済新聞が12日付以降、繰り返し指摘しているところでは、「原発事故で経営が厳しくなった東電が送電関連の設備投資を抑え」てきた。1991年には送配電設備に約,9000億円を投じていたが、15年には何と8割減の約2,000億円に止まっている。そもそも電柱や鉄塔は風速40メートルに耐えうるようにしか設計されておらず、しかも多くは1970年代に建てられ、その初期のものは耐用年限に近づいているにもかかわらず、逆に「耐久性があると判断した電柱への投資を先延ばししてやりくり」してきた経営怠惰のツケが顧客に回された格好である。

この「風速40メートルに耐える」というのは経済産業省の省令で決まっているのだそうで、これは台風の凶暴化に合わせて見直しが必要だろう。またこれを機に、他の先進国に比べて極度に遅れている電線の地中化の議論も高まるだろう。

電気がこないことによる間接的な影響も甚大である。有線の固定電話が使えないのは仕方がないとして、困ったのは携帯と無線ネットの電波が来なくなったことで、これは基地局の非常用バッテリーが24時間しか保たないためである。実際、9日未明に停電となってその日の夜までは携帯もネットも使えたが、翌日には途切れた。街中の方から順次復旧しつつはあるけれども、我が家の場合は15日現在も不通のままである。遠くの家族・知人との安否確認ができないくらいはまだしも、熱中症など急病人が出ても通報のしようがなく手遅れになったケースもあったという。また遠く北海道や東北から応援に駆けつけた電気工事作業員が慣れない場所に投入され、携帯で本部の指示を仰ぐことができずに著しく作業効率が悪くなったとも言われる。何もかもが携帯・ネット経由の時代、基地局の非常用バックアップが24時間のままでいいのか、検討が必要となろう。

また例えば停電で浄水場が操業できずに広域的な断水が起きたり、風はすっかり収まったのに高速道路が何日も閉鎖のままで、なぜなら電気が来ないとゲートの開閉もETCカードの読み取りもできなくなってしまうからだとか、およそ電力系統に頼っている限り何もかも動かなくなってしまうという事態が続出した。それぞれの分野とレベルで、戦略的には系統に頼らないエネルギーの自給自足、地産地消の達成にどう近づいていくかが大事で、しかしそう簡単に自立化が実現しない以上、戦術的には非常時に備えた準備を怠らないことが重要だろう。

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