判決には、こういう記述もある。
東京電力社内、他の原子力事業者、専門家、行政機関のどこからも「長期評価」の見解に基づいて直ちに安全対策工事に着手し、これが完了するまでは本件発電所の運転を停止すべきである旨の指摘がなかった
原子力ムラの企業、学者、官僚の誰もが、原発の津波対策を必要と考えていなかったから、東電の責任者3人が津波対策をしなかったのは仕方がないというのだ。
あんな大津波が起きて原発が破壊されるなんて、当時は誰も考えていなかったじゃないか。学者も経産省も原子力安全・保安院も何も言っていなかった。だから、俺たちも取り組まなかっただけだ。俺たちのせいじゃない。そう被告たちは思い、裁判官たちも事故の起きる3年前のあの時点における経営陣の判断は社会通念上、刑事罪を負うほどの過失とはいえないと判定した。
しかし、実際には、れっきとした国の機関である地震調査研究推進本部から大津波の起きる確率が高いと警鐘が打ち鳴らされ、社内からも大津波対策の必要性を訴える担当者の声が上がっていた。東北の海岸には歴史上、繰り返し大津波が襲ってきたこともわかっている。
それでも、東電の旧経営陣に業務上過失致死傷罪が適用できないというのだろうか。
これまで全国各地で、原発事故の避難者によって東電に対する民事訴訟が提起されている。そして一審判決が出た12件の裁判で、長期評価に基づいて「津波は予測できた」との判断のもと、東電に賠償を命じているのだ。
電力会社は国に総括原価方式や地域独占を許され、大名商法のぬるま湯に浸かってきた。必要なコストは国民が負担し、利益が出るような構造になっているのだから、その分、国民の安全に対する責任は重いはずだ。儲けはぬくぬくと享受し、安全はおろそかというのでは、電力会社を経営する資格はない。
東京地裁に、原子力ムラや安倍政権への忖度があったかどうかは知らないが、そもそもこのようなケースで経営者個人の刑事責任を問うのは難しいという法曹界の固定観念のようなものが厚い壁になっている。
しかしそれは、きわめて重大な事故を起こしたのに誰一人罪を負わないのか、という一般人の素朴な疑問と、あまりに乖離しており、司法への不信につながっているのも確かだ。
裁判所の厚い壁を感じつつ、指定弁護士は目下、控訴すべきかどうか検討中だという。控訴期限は10月2日である。