どんな些細なことでも「ありがとうございます」と言われると、気持ちのいいものですよね。感謝の言葉をかけられると、自分の中にも自然と感謝の気持ちが湧いて来るような思いを抱く方も多いのではないでしょうか。今回の無料メルマガ『東北NO1メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』』では著者で心理カウンセラーの吉田こうじさんが、当たり前の日常に感謝することの素晴らしさを伝えています。
感謝のタネを探し出そう
私たちは「感謝の気持ち」を感じたときにどんな言葉を使うかというと、「ありがたいな~」ですよね^_^。漢字で書くと「有難い」。つまり、普通とか当然とか当たり前じゃなくて、「有る」ことが「難しい」って書きます。有ることが難しいのに、有ると感じるから「有難いな~」って思うわけです。
でも、会社員時代に満員電車で席を譲った際に、僕がよく言われたのは「すいません」でした。仕事でミスをした部下も指導した後に言ってくる言葉は「すいません」でした。
「すいません」って謝罪ですよね?
「すいません」って言われると、僕だけかもしれませんが、なんか罪悪感を相手に強要したみたいに感じて、すごい違和感…。なので部下には、「上司に指導されたってことは、次は期待してるぞってことだから、忙しい中、ご指導ありがとうございますって言った方が、きっと上司は気持ちがいいと思うよ」って伝えてました。
時々思うのですが、私たちって「普通じゃない」ような悲惨な目にあったり、「普通じゃない」ような苦難に直面したりした時じゃないと、「いま、すでに有る身近なものに感謝する気持ちを感じること」が、なかなか意識にあがってこないように思います。「有難い」ではなく「有るのが当然」くらいに思い込んでいるんですね。
これって、どうしてなのでしょうか?
突然の事故や災害などで九死に一生を得るみたいな体験をしなければ、日々の何気ない暮らしに対して感謝の気持ちよりも、むしろ不平不満ばかりを感じてしまいがちなのはどうしてなのでしょうか?
突然、別れ話を切り出されるまで相手を愛して尊重することを忘れて、「もっと◯◯してくれ!」「どうして◯◯してくれないの!」と要求ばかりしてしまったり、病気や怪我をするまで、健康でいることのありがたさや、体をいたわることの大切さをつい忘れて、暴飲暴食をしたり不摂生な生活をしちゃうのはどうしてなのでしょうか?
私たちは、一体、どれだけのモノを失う痛みを体験すれば、「いま、目の前にあるもの」に感謝の気持ちを抱きながら生きれるのでしょうか?
東日本大震災が起きて電気・ガス・水道などのライフラインが全て絶たれ、近所の給水所でポリタンクを持って雪が降るなか長い行列で待っていると、「不便さ」ばかりにフォーカスを当てて、ひたすら呪いの言葉を周囲に撒き散らす人もいれば、「無事、生き残れたことに感謝」ということにフォーカスを当てて「有難いな~」と言っている人もいました。
頭の中で何にフォーカスを当てているのかによって、その人が体験する世界は変わります。
今、目の前に有る「たくさんの有難いこと」に気づかず、「不便さ」「不快さ」などの「ないもの」ばかりが見えている人って、きっと「欲求不満」とか、「被害者意識」といった、狭い自意識世界の中に引きこもっているんじゃないかなって思うんです。素直な視点で世界がみれていないんじゃないかなって思うんです。
なので、不眠不休で復旧しようと頑張って働いている人たちのことを「仕事だから当然」とか思って、「有難い」とは思わない…、むしろ、なんでもっと働か「ない」んだくらいの勢いで不平不満をぶつける…。
繰り返しになりますが、「有難い」と思えるとき私たちは心の幸せを感じます。なのに、「当然」とか、むしろ「全然足りない」とか…、「ありがとう」ではなくて「すいません」とか思っていたら、幸せから離れてしまうんです。
なので、「普通」の日常がどんなに「有難い」ことなのかに感謝できる気持ちを育んでみましょう。これも練習で育めます。なにか手伝ってもらったら「すいません」ではなくて「ありがとう」って伝える。感謝のタネを意識的に探し出してみる。そして、感謝の気持ちを素直に表現してみる。
たった、これだけでも気持ちって育めるんです。失ってから「有難い」ことに気づいてももう後の祭りです。まずは毎日、3つ程度の「感謝できること」を見つけることからはじめてみてはいかがでしょうか?
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