NY在住日本人社長が故郷・岡山で食べたもの、食べたかったもの

 

翌朝、地元の友達が岡山駅まで迎えに来てくれます。僕の地元は岡山駅から車で1時間くらいかかる瀬戸内海側のど田舎。でも駅からバスも出ているし、平日にわざわざ申し訳ないから、その幼なじみには「必要ない」と断るのですが、とにかく迎えに行くと聞きません。隣の家で生まれ、物心ついた時からすでに当たり前のように、そこにいたそいつが迎えに来てくれます。来なくてもいい!と言うのに必ず来るのは、多分、年に1回か2回の僕の里帰りを何ヶ月も前から楽しみに待っているほど、日頃退屈な生活をしているのと、農業をしているので、時間に融通が利くからだと思います。われながらひどい言い方だけど。

岡山駅で待ち合わせをします。開口一番「よっちゃんのブランド力も、ニューヨークのブランド力も落ちたなぁ」と言ってきます。毎回僕の里帰りに合わせて、同窓会を開いてくれるのですが、数年前に、約30年ぶりにみんなと会った時は、オフィシャルの同窓会以上に、僕に会うために80人以上が集まってくれました。それが毎年、回を重ねるたびに人数は減っていき、僕の帰省の「ありがたみも、のうなったわ(なくなったよ)」らしく、今回は30人くらいしか集まらなかったのだとか。急な知らせだったし、30人でもありがたいよ、と言って、彼の車に乗ります。

岡山駅のロータリーを抜ける間、岡山駅周辺の街並みを眺めます。ど田舎で生まれたくせに、さすがに、ニューヨーク、ラスベガス、香港、マカオ、大阪と、世界の都会へ行った直後は、岡山という地方都市に「あれ、こんなに空が広かったっけ?こんなにビル低かったっけ?」と生意気な感想を持ってしまいます。それにしても、やっぱり田舎なんだな、と。「なぁ、駅前の商店街、こんなにお店閉まってたっけ?」そう聞く僕に、幼なじみは「ちょ待ってえや、市内出るまで、話しかけんで。車の運転に集中したいけえ」と真顔。「岡山(市内)都会じゃけえ、こえんじゃ、信号、ようさんあろう(怖いんです。たくさん、あるでしょう)」…。

その日の夜は、地元の友達が集まってくれて、地元唯一のカラオケ屋で宴会。さすがど田舎のカラオケボックスだけあって、必要以上に広いお店。しかも持ち込み可。店員のおばさんまで途中入ってきて、どれだけ田舎なんだと思わされます。持ち込み可能ということで、最初に男4人でスーパーに買い出しに行きます。

「せっかくニューヨークから来たんじゃけえ、好きなもん買えや」と言われたので「いちごジャムパン」と答えると、おっさん3人がその場に倒れるほどお腹を抱えて爆笑されます。なんでジャムパン? ニューヨークないんだよ。そんな会話の後、パンコーナーに行けば、たまたますべてのパンの中で、ジャムパンだけ売り切れ。またそこで、きったないおっさん3人に爆笑されます。

ムキになった僕は、サンドイッチ用の耳のない食パン一斤と、瓶詰めのイチゴジャムを購入させました。その後、所用を済ませ、会場に遅れて行くと、拍手で迎えてくれる中、何十年ぶりに会った、いまやすっかりおばさんになった同級生が「はい、これ!なんでこんなもん食べたいの?」とその場でジャムパンを渡してきます。プラスチックのフォークで塗って、作らされたのだとか。「ニューヨークってなんでもあると思ったけど、いちごジャムパンすらないんじゃな!たいしたことないな!」と。

でも、実は、日本滞在でも40代後半の同級生軍団が、そんなに日頃からいちごジャムパンを食べているわけでもなく、ひとくち食べてみると、連中ものきなみ全員「うんめえ!!」とハマってました。何十年ぶりに食ったけど、ジャムパンってこんな美味かったっけ、と。これで、毎回の同窓会の定番の「おつまみ」に決定しました。お手製ジャムパン。

時間を忘れるほど、楽しく。結局、明け方4時までお開きになりませんでした。世界中に旅をして、いちばん楽しい場所が、生まれ故郷になるとは想像もしていないことでした。何もない田舎が嫌で嫌で、19歳で飛び出しました。田舎者あるあるですが、行き着く先は都会、都会を転々とし、最終的に地球の裏の世界一都会にまでたどり着きました。でも、今思うのはニューヨークにあって、この瀬戸内海のど田舎にないものはないということ。そう思わせてくれたのは、当時の同級生軍団でした。

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