若いほど発揮され、年を取るほどに枯れていく嬉しくない才能の話

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日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんは今回、自分自身に備わっているらしいあまりありがたくない才能を告白。その才能は、若ければ若いほど発揮されてしまう傾向があったようで、学生時代には悩みのタネだったようです。そして、その才能の影響もあってか、先生や先輩に学ぶことが好きではなく、「良き生徒」になれなかったと述懐します。

私の才能のこと

私には天賦の才が一つある。しかもこれに関しては何の努力も研鑽も積んではいないから、言ってみれば混じりっ気なしの天才である。まあこう書くと大体ろくでもない才能に違いなかろうと予想できるのだが、その通り、まったくもってありがたくない才能である。

私は人を怒らせる天才なのである。いたずらや悪さが好きという訳ではない。人をからかうことも嫌いである。何より怒られるのが大嫌いである。私の才能は飽くまで怒らせる才能なのであって怒られる才能では決してない。

少し話は変わるが、私は学生時代に進学塾でアルバイトをしていたことがある。私の担当は主に中高生だったが、そこには小学生のクラスもあったから時々は子供たちの雑談や相談の相手をすることもあった。どういう話の流れでそうなったのかは忘れたが、子供たちが自分が怒られた時の気持ちについて話しているのを聞いたことがあった。

まとめるとこんな感じである。とにかく怒られている最中はどんな事情でもムカつくばかりである。しかし、しばらくして冷静になるとさすがに自分が悪かったなと反省する気持ちになるのだそうである。大切なのは後半部分である。「自分が悪かったと反省する」というところである。

しかし私の場合は全く違う。いくら時間をおいて考え直してみても一体何が原因で相手を怒らせたのかさっぱり分からないのである。故にいつまでたっても不条理感が心から抜けない。

数年前、こういったこともある種の発達障害の一症状であるといった内容の研究論文を読んだことがあるが、何でもかんでも障害のせいにするのはいかがなものかと思う反面、症状なら仕方がないかと多少気が楽になったことを今でも記憶している。

とは言え、こちらの気楽さとは無関係に、やっぱり相手は怒るものだからその原因を考えずにはいられなかった。ただいくら考えても分からないというところから、おそらく具体的な何かが原因なのではなく、何となくの言動なり雰囲気なりが何となく相手の心証を害しているのではないだろうか、というふうには感じていた。

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