NY在住日本人社長が出張帰国で驚いたコンビニ惣菜のクオリティ

 

今回の出張で多く利用したタクシーの、ひとりの運転手さんを思い出しました。あれは都内で利用した際のこと、無口な運転手さんは、途中、急にいっぱい喋り出しました。それは、走行中、大きな霊園の前を横切った時のことでした。窓から見える延々と続く、お墓の光景に、僕は思わず、何も深い意味もなく「なにか、この向かいには住みたくないなぁ」とつぶやいてしまいました。大規模の墓地の前に、わざわざ住みたくはない。それを聞いた運転手さんは「あれ?そうですか?」といきなり語りかけてきました。

彼は続けます。「僕は、霊だの霊魂だの、まったく怖くないんですよ」と。彼の理屈は、この世の中が始まって以来、亡くなった人間の絶対数の方が、今現存している人間よりも多い、とのこと。数だけで言うなら、むしろ亡くなった後の魂の方が大多数であって、どっちがメインストリームか、わからない。なので、何も恐れることはない。絶対に自分もあっちにいつか行くのだから等。

そこから、テンションが高くなったのか、延々と「死生観」というか、「生命論」というか、人間の「死」について、そして、そこから派生して「生」に対しての講釈が始まりました。いかに生きて、いかに死ぬか。いつか逝くのだから「死」を特別なものと思い込まず、「生」の延長線上で、どーの、こーの。

目的地に到着するまで、彼のトークショーは終わりませんでした。そして、その話の内容は、まったく的を得ていない、ということも、なかった。むしろ、宗教家でもないにも関わらず、それなりの説得力もロジックもあり、決しておかしな理屈ではなかった。いや、ひょっとしたら、それこそ、著名な宗教家やテレビタレントや映画の登場人物のセオリー、ロジックに、影響を受けているのもかもしれません。無意識にパクっているのかもしれません。それはそれで勉強なので、決して悪いことではない。ちゃんとした論理で、きっちりした理屈でした。

前述の新大阪から品川までの夜の新幹線の車中。斜め向かいに、50代くらいのサラリーマン男性と、その部下であろう30代くらいの女性が座っていました。車内販売のビールで結構、いい気分になっている男性は声も大きく、延々と部下の女性に語りかけています。盗み聞きをするつもりもないも、勝手に耳に入ってきます。「いいか、自衛隊ってのは、読んで字のごとく、自衛するためのモノなんだよ、決して、戦争を反対してるわけじゃないんだ、そこはわかるか?」憲法第9条に関して、持論をボリュームいっぱいに話されていました。

「だから、戦争反対と自衛隊撤廃は同じ意味じゃないんだ、右だの左だのは内輪揉めで、日本は今、外交それ自体を真剣に考えてどーのこーの…」。酔いも手伝い、アルコールが回るとともに、彼の演説も熱を帯びてきます。「じゃあ、自分の子供が戦争に行ったとしたら、そんな悠長なこと言ってられるか!?…自分が今まで手塩にかけて育てた子供をお国に捧げられっかってんだ」。話は逸れていき、今度は「子育て論」、ひいては「教育論」に転換していきます。

でも、その話のどれも、トンデモない理屈ではありませんでした。意外とシッカリしていた。「朝まで生テレビ」などの討論番組で見聞きした話をそのまましゃべっているのかもしれません。それにしても、決してそれが悪いわけじゃない。立派なインプットです。ただの酔っ払いのサラリーマンなのに、ちゃんと整合性もあり、恥ずかしいロジックではありませんでした。(同伴していた女性の方は僕を見ながら助けてほしそうにしていたけれど)

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