ロングセラーの危機~分社化の荒波
「バスクリン」のルーツは、1897年に津村順天堂が発売した「浴剤 中将湯」。漢方薬の残りかすを風呂に入れたところ、体が温まることがわかり、商品化された。「浴剤 中将湯」に香りを加えて1930年に発売されたのが「バスクリン」だ。
発売当初は銭湯向けの商品だったが、高度経済成長期、家風呂の普及とテレビCMによって一気に広まった。
しかし90年代になると、ライフスタイルの変化から風呂離れが起き始める。シャワーで済ませる人が増えてきたのだ。入浴剤市場が頭打ちになる一方、花王の「バブ」など他社との競合も激しくなり、ツムラの入浴剤事業は赤字に転落していった。
ついに2006年、ツムラは「バスクリン」を切り離すことになる。
入社以来、入浴剤事業一筋の古賀は、誰よりもバスクリンを知る男。そこで分社化プロジェクトを任されることになる。それは、入浴剤に携わる200人もの社員を新会社に移籍させる大仕事だった。
「ツムラに入った社員が新会社に行きたいかというと、基本的には行きたくないですよ」(古賀)
番組では、ツムラ時代から勤めるバスクリンの社員にアンケートを実施した。分社化の話を聞いた時、どう思ったかを尋ねてみると「不安でいっぱいだった」「頭が真っ白」「泥舟に乗る気持ち」「ツムラに残りたい」……そんな答えが記されていた。
「正直ショックというか、すごく不安を感じました。妻も『お父さん、どうなるの?』と」
同僚との別れが何よりつらかったという社員もいた。
「同僚と、隣の課の方から『大変だと思うけど応援するよ』と言ってもらいました」
動揺する社員に納得して新会社に移籍してもらうため、古賀は一人一人と面談し、話し合った。当時のことを、社員は「(古賀から)『分社して小さくなったことが自分たちの強みなんだ』と言われて、ああ、そうかと。そこを生かしていった方がいいんだな、と」「古賀社長と面接した時、すごく評価してくれて、握手してもらったのを今でも覚えています」と、振り返る。
2006年、入浴剤事業はツムラから分社化され、「ツムラ ライフサイエンス」として新しく船出した。
新会社の社長となった古賀は社員の心を一つにまとめるため、「入浴の基礎知識」という冊子を作った。そこにはツムラ時代から蓄積した、入浴剤と風呂に関する膨大なデータや知識が網羅されている。
例えば、湯船につかっている時間は10分以下の人が最も多く、およそ44%。何度のお湯につかるのがいいのかを目的別に分類したページには、「肉体疲労の回復や運動不足の解消には43度ぐらいの熱めのお湯」「美肌や睡眠のためにはぬるめがいい」などとある。
そこには、全社員が風呂と入浴剤のエキスパートになって欲しいとの思いが込められていた。
「人々の健康のために事業があるんだ、というところからスタートして、そのために入浴剤もありますね、と。そこが明確でないと、本当に思いを持って、自信を持って販売することに繋がらない」(古賀)