大人スイーツ「バスク風チーズケーキ」が日本で大ヒットした理由

 

18年7月にオープンした、東京・白金の「ガスタ」は、その本家サン・セバスチャンにある「ラ・ヴィーニャ」からレシピを直に伝授されてオープンした店だ。しかも「ラ・ヴィーニャ」は家族経営の店で、レシピを他人に伝えたのは、世界で「ガスタ」のシェフ・戸谷尚弘氏だけだ。

ガスタ外観

ガスタ外観

いくら腕利きだと言っても、なぜ地球の裏側に住む日本人が、と誰しも思うだろう。それは、戸谷氏の誰よりも熱心な姿勢が評価されたということだ。店名「ガスタ」は、バスク語で“チーズ”を意味する。

戸谷氏は製菓を学ぶために、7年ほど前に渡欧し、フランス領バスクのビアリッツの老舗菓子店、1872年創業の「ミルモン」で修業していた。そこで主に学んでいたのはバスクの伝統的な焼き菓子「ガトーバスク」だったが、折に触れてフランスやスペインのお菓子を食べ歩き、現地の食文化を吸収していった。

そうした余暇の活動で出合ったのが、「ラ・ヴィーニャ」のチーズケーキだった。料理やお酒を出す、バルのデザートの1つとして売られていたが、戸谷氏は「ベイクドでもレアでもスフレでもない、独特の味に衝撃を受けた」と語る。

戸谷氏は修業を終えて帰国し、15年にバスク菓子専門店「メゾン・ダーニ」を白金にオープン。本場・直伝の本格派として、たちまち人気店となった。

メゾン・ダーニ外観

メゾン・ダーニ外観

メゾンダーニの主力商品、ガトー・バスク

メゾンダーニの主力商品、ガトー・バスク

新進気鋭のパティシエとして注目の存在となった戸谷氏であったが、「ラ・ヴィーニャ」のチーズケーキを学びたいというパッションを抑えきれず、「ラ・ヴィーニャ」に手紙、メールを送り電話も掛けたが、色よい返事はなかった。

それもそのはず。レシピは門外不出、世界中から問い合わせがあるにもかかわらず、誰にも明らかにされて来なかったからだ。

履歴書を送り、何度か現地にも行って交渉を試みたが、全く相手にされず追い返された。諦め切れずスペイン人の知人を介して、再度アプローチを試みた。

店に行くと、オープンキッチンの気軽な雰囲気のバルなので、客席からキッチンが見えた。戸谷氏は何度も店に足を運び、カウンターに座って飲食しながら厨房を観察し続けた。

そうしたある日、根負けしたのか、厨房責任者のミケル氏に「そんなところから眺めていないで、厨房に入って来たらどうだ」と声をかけられた。戸谷氏の熱意にミケル氏は心打たれて、初めて他人にレシピを伝える重い決断をした。しかも、「日本で製造するにあたり応援する」とのありがたい言葉までもらった。

そうして「メゾン・ダーニ」のすぐ近くに開業した「ガスタ」は、「ラ・ヴィーニャ」のレシピを忠実に再現して、日本でバスク本流のチーズケーキを確立したと言えるだろう。

ガスタのチーズケーキ

ガスタのチーズケーキ

このチーズケーキを生み出したのは「ラ・ヴィーニャ」のオーナー、サンティアゴ氏。30年ほど前、サンティアゴ氏は、店の名物スイーツを生み出したいとフランスに渡り、チョコレートのムースケーキを学んだが、暖かいスペインではバルのスタイルで、常温にて店頭に並べていると、チョコレートだと溶けてしまう。そこで、ムースケーキの滑らかな食感をヒントに開発したのが、このチーズケーキだった。

つまり、バスク風チーズケーキの発想の原点は、チョコレートのムースケーキの食感を、どうすればチーズケーキで表現できるかであった。

そして、ローソンの「バスチー」はバスク本流「ガスタ」や日本流「オーブン・ミトン」の商品に刺激されて、現地をリサーチしてつくられた大衆商品だったのである。それをベンチマークしたのが、他のコンビニ、レストラン、スーパー、洋菓子店で販売されている幾多のバスク風チーズケーキということになる。

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