やってる感の末路。東京五輪が延期でなく「中止」するしかない訳

 

「延期」ではなく「中止」ではないか

予定通り出来ないとなれば「延期」か「中止」である。AP通信は17日、「2021年東京五輪に向けて準備しよう」とのコラムを掲載、「安倍晋三首相が、人類が新型コロナに打ち勝った証しとして、完全な形で実施すると言うならば、最もいいのは来年の開催で、時期が重なる来年7月の水泳世界選手権(福岡)と8月の陸上世界選手権(米国)も延期すればいい」と提案した。

しかし、東京五輪は史上最多の33競技339種目が組まれていて、それだけの競技会場を来年夏に今年同様に確保することは事実上、不可能である。おそらくほとんどすべての施設は来年の予定が埋まっているだろう。また選手側も、水泳と陸上だけでなくすべての競技団体が数年先まで国内外での予定を立てていて、五輪を絶対優先するという国際合意でもない限り、それらすべてを組み替えさせるなど、不可能である。この事情は、仮に2年延期してもさほど変わらないだろう。

となると中止だが、それは五輪そのものの存続問題に直結する。84年ロサンゼルス五輪以来、五輪(を筆頭とするスポーツ)の商業化=利権化=巨大化が進み、その裏返しとして五輪招致に手を挙げる都市は減る一方となっている。何年もかけて誘致運動を展開し、賄賂まで使った上に施設建設に莫大な投資をしても、何年かに一度は起きる疫病パンデミックや気候変動による激甚災害があればすべてがパーになる恐ろしさを、世界中が目撃するわけで、ついに誰も招致の挙手をしなくなるのではないか。いきなり廃止とはならないが、規模の縮小・簡素化、利権と賄賂の禁止など、五輪のありかたに抜本的な再検討を加えるきっかけにはなる。

中止、もしくは延期であっても、その途端に安倍政権は頓死することになろう。もちろん中止・延期は安倍首相だけの責任ではないが、そもそも2013年9月ブエノスアイレスで「放射能はアンダー・コントロール」と世界に向かって真っ赤な嘘をついて誘致した五輪が、ここに至って新型コロナウイルスを初動の怠慢からアンダー・コントロールに抑え込むことに失敗して記者の質問からも逃げ回っているような人物が、そのまま権力者の座に着いていられる訳がない。「五輪の招致に成功し、その開会式に現職として出席できる人は世界的にもほぼ例がないんだ」という安倍首相が大好きな自慢話は、幻に終わるだろう。

image by: BT Image / Shutterstock.com

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早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。

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