デモに揺れる米社会に今なお暗い影を落とす「南北戦争」の深い闇

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奴隷制を巡りアメリカを二分した南北戦争終結から155年。その影響は、人種差別や新型コロナウイルスによる「分断」に揺れる米国社会に、今なお及んでいるようです。今回のメルマガ『NEWSを疑え!』では軍事アナリストで危機管理の専門家でもある小川和久さんが、南北戦争が残した問題の根深さや戦後の両軍の和解への姿勢等を紹介しつつ、外国人にはうかがい知れない複雑な要素が絡み合う米国社会の現実をあぶり出しています。

米国の暴動と南北戦争の影

コロナや黒人男性の死亡事件を発端とする暴動に揺れる米国について、こんな報道がありました。日本人には身近ではないニュースなので、ややもすれば見逃してしまいそうですが、米国にとっては重要な意味を持っているようです。

トランプ米大統領は10日、南北戦争(1861~65年)で奴隷制度維持を主張した南部連合(南軍)の将官の名前を冠した米軍基地について、「名称変更を検討することすらしない」と明言した。海軍や海兵隊が『黒人抑圧の象徴』と批判される南軍旗の使用禁止に進む中、大統領選をにらみ、南部の白人保守層にアピールする狙いがあるとみられる。
6月11日付時事通信

南軍の英雄にちなんで命名された基地は、ノースカロライナ州フォートブラッグ、テキサス州のフォートフッド、バージニア州のフォートA・P・ヒルなど十数カ所とされています。

このニュースを読むと、75万~95万人の戦死者を出した南北戦争がいまも米国全体に影を落としており、その問題を避けては米国という国が機能しないほどの重みを持っていることがわかります。トランプ大統領を批判する側は、米国民を分断したと言いますが、南北戦争は、その分断か統合かというテーマにも深く関わっているのです。

という訳で、南北戦争をにわか勉強してみたのですが、とても追いつくものではありません。それでも、関連の資料を斜め読みする中で、次のような事実を知ることになりました。

例えば、南軍の重要拠点だったミシシッピ州ヴィックスバーグという町のお話です。1863年7月4日、46日間にわたる北軍の包囲の前にヴィックスバーグは「落城」し、2万9,000人の南軍兵士が捕虜になりました。南北戦争の一大転換点となった激戦です。

そこまでは歴史的事実ですからなんの問題もないのですが、それで終わらなかったという点で、今日につながってくるのです。なんと、それから80年以上、ヴィックスバーグは7月4日の独立記念日を祝うことを拒否し続けたというのです。これについては「都市伝説」のようなものとする見方もありますが、アメリカ合衆国の一部を構成していながら、南部の拠点としての住民感情が息づいている頑なさを感じさせられ、南北戦争が残した問題の根深さがわかろうというものです。

ニュースにあった南軍に関係する米軍基地の名称などについては、機会を見て西恭之さん(静岡県立大学特任助教)に調べてもらおうと思いますが、「積ん読」していた『記念碑が語るアメリカ──暴力と追悼の風景』(ケネス・E・フット、名古屋大学出版会)を開いて目についたのは、ゲティスバーグ、アーリントンとリー将軍というキーワードでした。ここでは、それを通して米国民の和解と統合についてご紹介しておきたいと思います。

南北戦争最大の激戦地だったペンシルベニア州ゲティスバーグには、戦争終結27年後の1892年に建てられた「反乱最高潮の碑」という記念碑があります。記念碑の建設費は北部の州によって拠出されたそうですが、北軍だけでなく、南軍の将兵の英雄的な行為が讃えられ、哀悼の意が刻まれているのです。そして、除幕式には南北両軍の退役軍人が一緒に参列し、和解への姿勢を示しています。この当時、いかに早急に南北の和解を図ることが重要と考えられていたか、わかる光景です。

ゲティスバーグは1863年7月、ときのリンカーン大統領が国立戦没者墓地の献納式で両軍の戦死者を悼み、未来へ向けての和解を説き、「人民の、人民による、人民のための政治」という歴史に残る有名な演説をしたことでも知られています。

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